原子力は民主主義国には不向き?
金子 熊夫
中越沖地震以来止まったままの東京電力柏崎刈羽原子力発電所の7号機が、いよいよ5月の連休明けに運転再開となりそうだ(この原稿を書いている4月末時点での新聞報道に基づく)。やっとという思いだが、しかし、他の6基の再開のめどは立っておらず、前途は依然多難である。
そもそも国の原子力安全・保安院と原子力安全委員会が共に運転再開にゴーサインを出し、地元の柏崎市長と刈羽村長が共に再開を容認しても、新潟県知事が首を縦に振らないために再開できない状況が続いていたことに割り切れないものを感じてきた。知事には知事なりの政治的立場があり、慎重の上にも慎重を期したいという気持も理解できなくもないが、スジ論としては、原子力発電所の安全性(耐震性を含む)は高度の専門的、技術的な判断を要する事項であり、知事の政治的判断に委ねられるべきものではあるまい。
ただし、断っておくが、私は今ここで、原子力行政における県知事と国の権限関係を云々するつもりはない。これは、原子力の分野に限らず、国防・安全保障(米軍基地や米海軍艦船の寄航問題を含む)など、様々な分野で問題になっている点であり、今後地方分権制度を再検討する中で十分議論し、きちんとした結論を出しておくべき事柄である。
その際、原子力問題についても、いやしくも国策として推進する以上、一地方の行政責任者である知事が、地元の事情だけで勝手にストップしたり、不当に遅らせることが許されるのかどうか、徹底的に議論しておく必要がある。高レベル放射性廃棄物処分場の選定(公募)問題なども当然念頭に置かれるべきだ。
現職の知事諸侯には甚だ失礼な言い方かもしれないが、日本では、小選挙区制になってこの方、どうも知事の政治的発言権が相対的に大きくなり過ぎた感があり、普通の国会議員より有力になっているという批判が聞かれる。その結果、「原子力 首長に首根っこ抑えられ」という時評川柳も、あながち的外れともいえない状況がある。
このような国内状況では、たとえ温暖化対策やエネルギー安全保障上必要であると言っても、一般市民に不人気な原子力を継続、発展させることは益々難しくなる。電力会社のトップには、「原子力は日本のような民主主義社会、あまりにもオープンで、しかも無責任な風潮が蔓延した社会には不向きだ」という諦観を持つ向きもあるようだ。現在の日本では、国家百年の戦略的視点に立ち、一億人が反対しても断固前進するという勇気を政治家や経営者に期待するのは無理か知れない。まして日本は唯一の被爆国で、核・原子力へのアレルギーはどこの国よりも強いので、原子力を維持・拡大するのは至難事といわざるを得ない。
地球上に日本だけが存在するならそれでも済むだろうが、あいにく世界のほとんどの国はエネルギー確保に必死になっており、原子力推進の方向で邁進している国も少なくない。中国のような共産党主導の国はいわずもがな、インドやフランス、イギリスなども大統領、首相自ら陣頭指揮で原子力拡大に奔走している。米国は、原子力推進派のブッシュ前政権から一転して、オバマ政権は再生可能エネルギーに軸足を移した感じだが、原子力の重要性を否定しているわけではない。
とくにフランスの場合、原子力が盛んなのは「フランスが民主主義国ではないからだ」などと皮肉る向きもあるが、フランスの中央と地方の関係(現職の国会議員が知事や市長を兼務できる)にその秘密の一端があると思われる。
いずれにせよ、このような国々と今後も競争して行かねばならないから日本も大変だ。それだけの心構えが平和ボケした現在の日本人にあるか否か、いささか心細い。
(2009/04/25)