けれど、不安や無価値感に襲われるのは、《自分がされたことをしてはいけない》と、怒りを悲しみに包んだからだとも気付いた。
誰からも理解されない幼少期、ただひとかけらの愛情でも、目配せだけでもいい…
一度きり、例え一瞬でも抱きしめてくれたらそれだけでいい…
せめて臓器だけでも誰かの役に…とも。
こんな明日ならもういらない…
そんな世界なんてもう何も見たくないよ…
殺したいほど悔しくて、悔しくてたまらない…
https://jpsongs.net/【和訳】all-deadlarc~en~cielラルク・アン・シエル/amp/
All Dead
本当はそう思いながら、自分を蔑めるから、されたことをしてはならないとして狂気に満ちた感情に蓋をした。
蓋をしなければ、耐えられなかった。
そうして自分の全てを嫌い、呪いの言葉で自身を虐待して劣等感に苛まれ続けた一方、人には、自分の分も幸せになって欲しいと願い続けてきたことも分かった。
あぁ、そうだったのか…
あれは自分自身に願っていたのだ…
こんなに沢山の人の支えがあるのに、不安になるのは、自分が自分を見捨てていたからなのか…
ならば今、暗く冷たい部屋から見上げるあの時の自分を救い出し、言ってあげたい。
「理解されなくても、周りがなんと言おうとも君は愛され、生きる価値がある!」
「安心して自由に生きていいんだ」と。
未だ、過去の自分や他人に置き換えて、やっと自分を認識できる位でしかない。
でも、きっと自分にとって大切な一歩だと思う。
パートナーの中に傷ついた自分を見つけ、助けたいと結婚を決めたが、いつしか自分の劣等感を晴らす為に利用していて、随分苦労をかけた。
それでも「迷惑じゃないよ」と横に居てくれたこと、心から感謝している。
あぁそうか…
消したい過去だったけど、自分をここまで運んできた大切な一部で、あの恨みの感情こそが自分を生かしていたのか…
強い劣等感で統合できず、自分が分からなくなりながら、今やっと、自分に近づいた気がする。
これまで人からの承認で無価値感を埋めてきたが、自分で自分を理解できれば充分なのか…
自分を不幸にする被害者意識や、周りの評価に左右される生き方をやめられると思うとほっとする自分がいる。
どこにでもルールは付きもの。その中でも自分軸を持って選択し続けること。
「自分は今、何を食べたいか」の問いから始めてみる。