台湾にご一緒したTさんの背景を現地で少し聞いただけでも、「本当に大変な道のりだったんだろうなぁそれはそう思いたくもなるよ」と感じていたので、帰国後のTさんの《気づき》を読んで、祝福と感謝が溢れた。


「過去と向き合うのは辛かったと思うけど、本当によく頑張ったね」と。


「閉ざした心でいると、愛に気がつかず、歪みが生じてしまうTさんの丁寧な気づきに、辛さや悲しみの余り一緒くたにしていた自分の記憶の側面にどんな愛があるのだろうと思えてきた。


振り返ると「自分が好き」と言うことを全身が拒み、全く口にできない程に自分を許せなかったこと、親からの愛の形に夢を見過ぎて飛び出し、病気になって人生を諦めた時、過去を取り戻すように両親が必死になってくれたことを思い出した。


病気は、幼少の預けられた先での苦痛の体験(後に出会った本『it’と呼ばれた子』の構図)が大きく、理解されない悲しみや、我慢し続けた怒りの矛先が自分に向いたからだと思う。


病気で死を意識していた頃、何度も何度も電話をくれた両親から「子育てを疎かにしてごめん!あの時は精一杯だった」と謝って貰い、自分が閉じていただけで、両親はずっと待ってくれていたことに気がつき、心から感謝し、涙した。


我慢が我慢をうみ、我慢の連鎖を生む。


きっと、その状況なら自分も同じことをしたと思え、自分も親も、そして自分が憎んできた人でさえ、知り得る選択肢の中、その時の最善を選んでいると思えた。


劣等感や孤独を、過食や頑張りで紛らわせて病気にもなったが、断食を通し、食べなくても生きていけるという安堵感、頭が冴え、書き留めきれない程、次々に降ってくる全体意識と呼ばれるものを感じたのもこの頃だった。


そんな体験を通し、病気の殆どは何かを許していないことのサインと思えた。


例え、一人でもいい。

理解されないことは怖いけど、自分のように必要としている方に届けたい


病気を乗り越え、いたわりと尊厳をもって、閉じざるを得なかった心と身体を癒すことがしたい

それが困難でも、お金にならなくても本望。


そう思い、世の中の幸せを願っていた頃、光が現れ、「人の本質は光だ」と気づいた。


けれど、台湾に誘ってくれた清水さんと話すまで、あの光は幻?として忘れていた。


台湾への旅で、通訳をして下さったS先生から「それぞれのお役目」の話を聞き、自分のお役目は、共に歩む友人として、自らの光を取り戻すお手伝いかも知れないと思い始めた。


あの頃の「死にたい、死にたい」は「生きたい、生きたい。自分軸で強く生きたい!!の裏返し。


時として、抜けきらない恐れに葛藤する自分だけど、今はその恐れを紛わすことなく感じ切ろうと決めた。


こんなふうに思わせてくれたTさん、本当にありがとう!


Tさんが人にそう思うように、どんなTさんでも大丈夫。そのままのTさんを出して欲しい。

神様も、ご先祖様も、旅のメンバーみんながそう願ってると思う。


それにしても、台湾の圧倒的な安心感、懐かしさに「ただいま」と言ってしまったり、温かさ、人との距離、空気感、言葉も話せないのに住みたい自分がいる。


見守ってくれる周りの人達とのご縁や神様の存在に手を合わせたくなった感謝の旅。


Tさんの娘さんとの関係を聞いて、それぞれの出会いのタイミングも「全てが必然で完璧」と思えた。


劣等感から完璧を求め、後悔する自分の癖は、次に繋がるいい経験をした。と変えていけたらと思う。