『 そういや昔、
 京都駅って無かったよね?
 (京都に22年在住、今なお在住中の母)。』





母の放ったその言葉は、
せめてものモノトーンに留められていたが
それなりに非合理な色をしていた。





昔、といってもせいぜい10年前とかそこらの話だが



少なくとも  母、 祖母、 私
この3人の共通認識として、
京都駅はなかった。(なお、祖母に関してはその半生を京都で過ごしている)


もちろん、調べれば出てくる。
それは全くの嘘である、と


京都駅は1877年(149年前)に新設されている。
つまり、当然祖母が生まれた頃から存在している。


しかしながら
私たちは決して、脳内情報の知識として 
いつのまにか京都駅の存在を忘れていたのではなく


体験として、生きた記憶として
私たちが居た世界線には、京都駅が無かったことが
明確に身体に記憶されていた。



10年ほど前、
当時私はまだ詳しい駅の分別のつかない子供ではあったが、母と京都に行く用事があり、電車に乗っていた。


『(車内アナウンス)◯条駅〜、◯条駅〜。』
(おそらく七条か九条だったと記憶している)
 なお京都へおいでのお客様はこの駅でお降り下さ
い。』

つまり、"京都駅とはこの駅のことです"と、
下車を促すアナウンスがされた。


それを聞いて母とふたりで駅を後にした記憶が
私たちにはあるのだ。
(当時私は、「へぇ、京都駅ってないんだ〜」と思ったのを覚えている。)



むしろ
これだけ鮮明だと
同じ体験をしている人がいる気がして
その証左を求めたくてならないが


パラレルワールドという上滑りな言葉も
単なる2chにのみ成立するものではなく
自分の記憶を疑うほどに当たり前に、 
むしろ移行した後の世界の方が真実味を帯びていて
(正当性を求められるので)


蓋し、この世界はことごとく曖昧なものだなと感じた。



だからこそゆえのこのアカウントの命名でもある。



意思のある選択を以て移動できるかのような意の
"パラレルワールド"より広義の、
不随意的な、非選択的な、自動的な(つまり、他人の選択も当人に干渉する)、レールの数がこの世にあるのならば


むしろ私たちに不可能などはなく
何もかも意図的な選択によって
選べる世界があるのではないかと(※詳しい方法、説明についてはまた後日)
想像を超えていける世界があるのだろうと



この世界は、

全ての条件が成立する世界なのだろうと

そう思った。