タイがクーデターで大変な騒ぎのようだ。
いよいよ混沌としてきた。
「相変わらず、困ったもんだ。」
などと他人事のように言いながら、...
今夜、宮崎から羽田経由で、プーケットに飛ぶ。
クーデターの真っ最中なのに、
我ながらアホですなあ~(^^)
2週間ほどバカンスでやんす♪
写真は最近気に入ってるタイの「チャンビール」
「着いたら真っ先に一気飲みしゃちゃる~♪」
非常時でも呑兵衛は飲むのだ。
なお、ぶじ日本に帰国できるかは神のみぞ知る。
「ア~メン」
『梅雨入りとラッキョと兵力』
宮崎でも、八百屋の店先に泥つきのラッキョウが並びだした。
そろそろ、梅雨入りの声が聞こえてきそうだ。
私は泥付きラッキョウをみるとワクワクする。
この時期しか食べられないので、迷わずに買う。
大阪育ちの私は、「ラッキョウ」の「ウ」を発音せず、「ラッキョ」のほうが慣れ親しんだ呼び方だ。
「ラッキョ」
ああ、親近感がわく。
実は、これまでひた隠しに隠していたのだが、
「私はラッキョが大好きだ。」
いや、大好きと一言で済ませられない。
「偏愛、溺愛、盲愛・・・ん~~~。」
やっぱり一言では著せない。
ロリコンならぬ、ラッキョコンと言っても過言ではない。
たとえ奥さんが実家に帰っていなくなっても、食卓にラッキョさえあれば幸せだ。
ラッキョの香りを嗅ぐだけで、感情を揺さぶられメロメロになる♪
「猫にマタタビ、笹やんにラッキョ!」
ラッキョウ改め「楽教」の教祖として布教し、密かに世界征服を目論んでいる。(←嘘です)
さて、ラッキョと言えば、甘酢漬けを思い浮かべる諸兄が多いのではなかろうか。
もちろん、カレーライスに添えた甘酢ラッキョも良い付けあわせではある。
確かにカレーには福神漬けよりラッキョの方が合う。
しかし残念ながら、独断と偏見の極みだが断言する。
「甘酢ラッキョは酒に合わない。」
呑兵衛の笹やんが偏愛する食べ方はズバリ!
「塩ラッキョ」
この食べ方は、沖縄の島ラッキョに習った。
レシピは簡単だ。
泥を洗い落として、一皮剥いたラッキョに塩を軽く振って、そのままビニール袋に入れシャカシャカ振る。
バックミュージックは、サンバがお勧めだ。
サンバのリズム♪に乗って、しばしラッキョをシャカシャカ♪シャカシャカ♪・・・
このとき、一呼吸おいて、お腹の脂肪がプルプル反響するようだと危険信号なので注意しよう。
メタボの可能性があるので、即刻ダイエットが必要だ。
さて、こうして塩をしたラッキョは、15分~30分もすると食べられる。
写真のように鰹節を振りかけたら塩ラッキョの完成だ。
好みで、少し醤油を垂らしても良い。
作りたては、ラッキョの香りが強烈だが、これが良い。
まるごと口に放り込んで、カリポリカリポリ、シャクシャク、歯ごたえが良い。
すぐに、ヒリヒリ、ピリピリ、舌先から口いっぱいに、生のラッキョ特有の辛味が押し寄せる。
これがまた良い。
大人の味だ。
口中のヒリピリが消えぬ間に、焼酎のロックで流し込む。
「嗚呼、幸福、口福・・・」
塩ラッキョは多めに作って冷蔵しておくと、1週間や10日は楽しめる。
作りたては辛味が強いのだが、時間とともに徐々にマイルドになっていく。
この味の変化を楽しむのも一興だ。
また、醤油の代わりに味噌を少し乗せても美味しい。
塩を利かせすぎないのが肝要だ。
ラッキョは小粒ほど美味しい。
沖縄の島ラッキョが手に入れば最高だ。
さて、ラッキョウ改め「楽教」の教祖として布教に励む私に、新たな脅威が出現した。
ある朝のこと、家内が笑顔で、
「おはよう。」
挨拶を返そうとした私は、なぜか腹に力が入り、
「プウウ~ッ♪」
家内は眉間にシワを寄せ、
「コラッ!オナラで挨拶するな!」
私の返事は、腹を抱えて笑いながら、追い討ちの
「プウウ~ッ♪♪」
釣られて、家内も笑い出す。
笑いでさらに肛門が緩み、
「プウウ~ッ♪♪♪」
夫婦で大爆笑しているところへ止めの
「プピッ!」
(幸い、身は出なかった。ホント良かった。)
塩ラッキョを食べると、どうも締りが悪くなるようだ。
匂いはそれほどでないが、ガスの発生量が半端でない。
甘酢ラッキョではこんなことはないのだが・・・不思議だ。
このあたりの謎を解き明かせば、STAP細胞に匹敵する大発見になるかもしれない。(←絶対ない)
ヒョッとして私が特異体質なのかもしれない。
いや、新種の難病かもしれない。
命名「塩ラッキョ異常発酵ガス発生大腸炎」
オナラにはメタンガスが含まれ、強力な火力と強烈な臭気を併せ持つ兵器とも考えられる。
楽教の教祖である私は大いなる兵力、もとい屁力を装備したわけだ。
いま、この屁力の標的は気の毒な家内であるわけだが、我が楽教は平和主義である。
憲法9条に習いこの屁力を平和利用できないか構想中の今日この頃である。(大嘘です)
「集団的自衛権を憂う・・・」
”集団的自衛権”についての安倍総理の会見を観た。
今朝、何度も観なおした。
観るたびに、ふつふつと”怒り”が湧き上がり増幅した。
「自民・公明の多数意見だけで、こんな暴走を許してええんかい!!!」
←興奮すると大阪弁(笑)
「集団的自衛権っていったい???」
だいたい、この言葉自体が分からなかったので、これまで考えずに放っておいた。
猛省している。
しかし、大多数の国民はそうではなかろうか。
私も遅ればせながら、色々調べ、考えてみた。
その意味は、
集団とは同盟国のことだ。
集団的自衛権とは、
ブッチャけて言うと、
「同盟国が他国から攻撃されたら、日本は一緒に守る。」
もっとブッチャけて言うと、
「アメリカが攻撃されたら、日本も一緒に守りまっせ!」
ということだ。
←またまた興奮したら大阪弁(笑)
もし、安倍総理の言う集団的自衛権を行使するなら、日本が戦争に巻き込まれる可能性が一気に高まる。
分かりやすい実例を挙げよう。
例えば、北朝鮮からアメリカに向かってミサイルが発射されたら、すぐさま日本は迎撃することになる。
北朝鮮は日本の攻撃を即時に宣戦布告と捉えるはずだ。
有無を言わさず、日朝戦争勃発!
いや最悪、第三次世界大戦の引き金になるかもしれない。
自衛隊あらため日本軍が戦線に加わり、日本でも韓国と同じく徴兵制が実施される。(かもしれない?)
日本国中が戦火に包まれる。
「18歳以上の若者たちよ。近い将来、徴兵されるかもしれない。それでいいのか!?」
「日本国民よ。国土を焼けつくされるかもしれない。それでいいのか!?」
「自衛隊員よ。軍人として殺し合いにいかされるかもしれない。それでいいのか!?」
まさに太平洋戦争の二の舞の感がある。
極端に聞こえるかもしれないが、ありえることなのだ。
いまや、日本は世界第三位の経済大国として、それなりの自衛力を持っている。
自衛隊の力は世界水準でも侮れないものがある。
他国の軍隊を凌駕する力を持っているのだ。
ただし、その力を制御する正義がある。
その正義とは、日本国憲法第九条だ。
だから、軍隊ではなく、自衛隊なのだ。
「私は日本国憲法の第九条が大好きだ!」
日本国憲法第九条
小学生の頃、この憲法第九条をはじめて読んだときの感動は今も忘れない。
国家としての世界平和に対する強い意志を感じた。
「平和でいい国に生まれて良かったなあ~。」
子どもながらに、日本という国の良さを実感したものだ。
余談だが、
「でも、自衛隊って、軍隊じゃないのかあ~?」
という素朴な疑問もあったのだが、いまでは当然その必要性を理解している。
いま、安倍総理は、自民党は、この平和憲法の根幹である第九条を手前勝手な解釈で、捻じ曲げようとしている。
裏にはアメリカからの圧力があるのかもしれない。
だからといって、
国会で多数を占めているからと言って、けっして数の論理で推し進めていい問題ではない。
「小手先の憲法解釈の変更では済ましてはいけない。」
国民的議論を尽くし、
国民投票による憲法改正の手続きを踏むか、
総辞職してでも国民に真を問う問題ではなかろうか。
もし、そうなったとき、
「私は自民党に一票は投じない。」
もう一度言う、
「国会で多数を占めているからと言って、けっして数の論理で推し進めていい問題ではない。」
「私は日本国憲法の第九条が大好きだ・・・・・」
『秘伝!春爛漫/菜の花カレー』
宮崎の街中から少し車を走らせると、田園風景に出会える。
鮮やかなレモンイエローの世界が広がる。
道路沿いの畑は菜の花が満開で、まるで黄色の絨毯を敷き詰めたようだ。
車窓から吹き込む風も、花の香りを含んで心地よい。
春爛漫♪
写真の菜の花は綺麗な花束だが観賞用ではない。
れっきとした食材だ。
近所のJA綾町で二束30円で売っていた。
驚くなかれ、なんと一束15円なり!
しかも消費税込みである。
増税でなにもかも値上げラッシュのなか、菜の花が15円据え置き。
「ありがたい。」
作ってくださったお百姓さん、ありがとう。
合掌。
その価格に驚嘆し感謝しながら、貧乏性の私はとうぜん二束買った。
繰り返し言うが、花が満開で鮮やかな黄色が美しく、およそ食材にはみえない。
あまりに綺麗なので可憐な乙女などは、
「食べるなんて、可愛そう~~~。」
などと言いそうだが、
私は食道楽の大阪人♪
美味しいものなら花でも食べる。
豚なら鳴き声以外は鼻でも食べる。(笑)
「さて、どう料理しよう?」
つぼみであれば柔らかく癖がないので、迷わずお浸しにするのだが・・・
目の前には満開の菜の花。
これくらいになると、茎の繊維も硬くなり、鼻のブイは、
もとい、花の部位は苦味も強まる。
「どうしよう?」
沈思黙考。
「ポン!」
ひらめいた。
題して、
「秘伝!春爛漫/菜の花カレー」
まず、菜の花を炒める。
フライパンに胡麻油を多めに注ぎ中火で熱したら、ニンニクスライスを炒める。
ニンニクが狐色になり油に香りが移ったところで、ニンニクを取り去る。
ここから、一気に強火で勝負。
煙がもうもうと上がるフライパンに、菜の花を放り込む。
合間に塩コショウ少々。
中華の要領で一気に仕上げる。
菜の花炒めを皿に盛り、温っめたレトルトカレーをぶっ掛けて、
さきほど取り出した揚げニンニクを上からパラパラ振りかけたら、
ハイ出来上がり♪
菜の花の黄色と緑が鮮やかな、春爛漫カレーの出来上がりだ。
調理時間は5分以内で超簡単だが豪華な一皿となる。
誰が作っても失敗はない。
「当たり前だ!レトルトだ!」
私はご飯に掛けず、そのままカレーにまみれた菜の花をつまみに呑む。
熱々の菜の花を口に放り込み、ひと噛みふた噛み。
菜の花のほろ苦さとカレーの香辛料が絶妙のバランスで味蕾を包み込む。
泡立つジョッキのビールを呑み干す・・・
身体中が春を感じ震える。
「嗚呼、春爛漫♪ 口福だあ~♪」
追伸、
菜の花は茎が固めなので、あらかじめ茎だけ火を通しておいたほうがいいようだ。
レトルトカレーは南インド風に超辛口が合うように思う。
手に入らなければ、唐辛子を少々追加すると良い。
読んでくださった皆様ありがとうございます。
〔直近ランキング〕
【1位】30話「花粉症な日々と期待の新薬」
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【12位】5話『スコッチの精がささやいた・・・』
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花粉症の季節がやってきた。
今朝、布団のなかでウトウトと目覚めかけたその時、
「ハックション!」
「バックション!!」
「ベックション!!!」
いきなり、くしゃみの3連発だ。
寝室に大音響がこだまする。
隣で寝ている家内が、身体をビクッと震わせる。
可愛そうにこんな早朝に起こしてしまったかと思いきや、さにあらず。
身体はすなおに反応しながら、目が覚めないところが凄い。
「うちの家内は大物だ。」
私が寝ている最中は花粉症による鼻づまりのため、
「ガウォーッ!グウォーッ!・・・・・・・・・・・・・」
一晩中、盛大ないびきが続く中でいつも安眠している。
「間違いなく家内は超大物だ。」
くしゃみのあと、詰まっていた鼻がスッキリ通り完璧に目が覚める。
以上のような目覚めの儀式が、花粉の季節の恒例行事となった。
薬剤師だから、専門医にも相談しながら色々な薬を使ってみたが、たいしてよくならない。
けっして薬が効かないというのではない。
「薬のおかげで、なんとか生きていける。」
そんな感じがする。
以前、アレルギーの検査をしたら、スギはもとよりヒノキ、ダニ、ハウスダストなどなど陽性のオンパレード。
まるでアレルギーの万国博覧会だ。
特にスギ花粉の数値グラフは標準値を大きく振りきり、専門医から重症という有難くないお墨付きを戴いた。
そんなだから、これまで様々な薬はもちろん、BCG療法、レーザー治療など効くと言われる治療法すべてやってみた。
結果、
「花粉症は治らない。
だけど、 薬のおかげで、なんとか生きていける。」
いまは密かに、花粉の季節は南の島に避難しようなどと妄想にふけっている。
そして大いびきの中、隣で安眠するふくよかな家内に感謝する日々である。
合掌。『 青森に 行かずにみれる ねぶたかな 』
閑話休題。
今日は、スギ花粉症のご同輩に嬉しいニュースがある。
画期的な花粉症の新薬が出る。
舌下免疫療法の薬、「シダトレン」だ。
花粉症とは、スギ花粉が身体に接触した際におこる免疫の過剰反応だ。
花粉自体は毒物でもなんでもないので悪さはしない。
問題は、免疫が過剰に反応することにある。
免疫療法を分かりやすく説明すると、
スギ花粉を人為的に少しづつ体内に入れることで、だんだんと身体を慣れされて過剰反応を起こさないようにする治療法だ。
症状を抑える対症療法ではなく、スギ花粉症そのものを完治できる可能性が出てきたのだ。
実は、スギ花粉エキスの舌下投与による治療は、欧米ではそうとう前から行われて実績を挙げていた。
以前から私は、どうして日本に導入されないのか不思議に思っていた。
「いつまで待てばいいんだ!?」
イライラがつのり、待ちくたびれて、とうとう諦めかけていた矢先。
今年になってようやく、待ち望んだ舌下免疫療法薬が厚生労働省に認可された。
それがシダトレンだ。
効果のほどは、70~80%の患者で症状が軽くなり、10~20%は完治するようだ。
これまでの薬物治療で効果不十分だった私のような重症患者には朗報だ。
ただし、薬にリスクはつきものだ。
先から読んでも、後から読んでも同じ、
「くすり と リスク」
は切り離せない。
以下に、新薬シダトレンについてメリットとデメリットを簡単にまとめた。
〔メリット〕
・スギ花粉症が完治する可能性がある。
・完治しない場合でも、症状がかなり改善される。
・舌下投与なので、外来通院しながら自宅で治療を続けられる。
・治療費が保険適応になる。(今年の5~6月ごろ予定)
〔デメリット〕
・シダトレンを処方できる医療機関が限られている。
・副作用でショック症状がでる可能性がある。(アナフィラキシーショック)
・処方が最長2週間なので、月2回の通院が面倒。(1年後に長期投薬可能)
・治療期間が長い。完治するには最低でも数年かかる。
以上のようにデメリットもあるのだが、
「完治する可能性がある。」
治れば、もう薬を飲まなくて良い。
毎春の憂鬱から開放される。
安眠できる。
たった20%の確立でも、その可能性にかけてみたい気もする。
「でも通院も面倒だしなあ~。」
トライしてみようかどうか逡巡してしまう。
・・・嗚呼、悩ましい。
私の結論。
「シダトレンを使うかどうかは、長期投薬できる1年後に再考してみよう。」
その頃には、多くの患者に使われ、専門医の間でもある程度の評価が固まっているだろう。
1年後なら、長期処方が可能なので通院回数も少なくて済む。
後だしジャンケンでズルイようだが、
先に飛びついたひとの状況をみながら、慎重に治療法を選ぶのは消費者として賢い生き方だ。
参考)花粉症の免疫療法については、鳥居薬品の公式サイトに分かりやすい説明がある。http://www.torii-alg.jp/
今回は番外編だ。
いつも、このブログは食いしん坊ネタや健康ネタが多い。
いや、はっきり言って単なる呑兵衛のたわ言が多い。
ところが今日は消費生活アドバイザーとして、まじめに消費生活ネタを語りたい。
名古屋駅前のレンタカー暴走事故で10人以上が重軽傷を負った。
運転していた男の言い分があまりにひどい。
「わざと突っ込んだ。誰でもいいから殺すつもりだった。」
タイトルに事故と書いたが、もはや事故では済まされない。
これは事件だ。
明らかな殺人未遂だ。
しかし、こんなことで怪我したんじゃ、
いや死んだんじゃ、
被害者はたまったものではない。
だが、この事件だけではない。
無差別に他人に危害を加えようという輩が増えている。
いつ自分や家族に火の粉が降りかかるか心配な世の中だ。
ここ数日、マスコミ報道を観ていて思うことがある。
被害者の立場で、いまどういった情報が必要か・・・・・
いざ、自分が被害者の立場ならどうだろう。
私が思うに、
「治療費は誰が払ってくれるのだ!?」
これに関するマスコミの情報発信はほとんどない。
確かに悪いヤツははっきりしているのだから、民法上では犯人が責任を負うべきだ。
でも、今回のように被害者が多数の場合、犯人が払い切れるわけがない。
また、民事訴訟を起こしても時間と費用がかかり大変だ。
もしうまく訴訟に勝ったとしても、相手から回収できる保証なんてない。
すぐに回収しようにも、相手は塀の中だ。
「たちまちの治療費はどうしたらいいんだ?」
さて、あなたが事件の当事者ならどうするか?
まず今回のケースは、自動車事故になるので普通は、
「自動車保険で支払われるのでは?」
安易に考えがちだ。
特に今回、犯人はレンタカーを使っている。
レンタカーには必ず任意保険がかかっているので、保険で支払われるのではなかろうか?
「否!」
「絶対に否!!」
犯人が故意にやったと明言したからには、保険会社は契約上ぜったいに保証しない。
確かに、
「この車は保険かけてるから、人でも物でもドンドンぶっつけちゃえ!」
っていうのは契約上ありえない。
あたりまえだ。
「自動車の任意保険での保証はありえないのだ。」
ただし、自賠責保険がある。
自賠責保険は別だ。
このようなケースでも、自賠責保険は対象になる。
ただし、治療費等では被害者ひとりあたり120万円という上限がある。
後遺症が残ったり、死亡した場合は最大3000万~4000万円である。
はたしてこれで十分だろうか?
今後、保証の度合いについては修正が必要ではなかろうか。
自賠責保険で足りなかったとしても、
こと、治療費に限定すれば、日本は国民皆保険なので保険治療が可能だ。
3割負担として実費が生じるがそれでも100%自費で治すよりましだ。
この場合は、健康保険組合に届けを出せば保険治療が可能だ。
「第三者による傷病届け」を提出すること。
これで治療費は3割負担で済む。
もし治療費が所定の金額以上になれば、高額療養費制度で返金保証される。
また、個人的に生命保険に入っていれば、所定の保険料が支払われる。
治療費についても特約があれば保証される。
不慮の事故に対して生命保険を掛けておくことは、家族の幸せのために大切だ。
今回のように交通事故の場合で、もうひとつ忘れがちな保証制度がある。
自分で自動車保険に入っていて人身障害保証をつけている場合だ。
自動車保険に人身障害保証を付けている場合、今回のケースでも保証の対象になることがある。
保険を掛けている本人とその家族が対象で、自動車に乗っていなくて歩行者であっても、こと交通事故であれば対象になる場合があるのだ。
このあたりは保険契約の詳細を日頃から確認しておこう。
「では、交通事故ではない異常犯罪で被害にあった場合はどうすればいいのだろう?」
確かに通り魔事件のように交通犯罪でないケースも多い。
実は、犯罪被害者に対する国としての救済制度がある。
「犯罪被害給付制度」という。
比較的新しい制度なので、一般には意外に知られていない。
平成16年に犯罪被害者等基本法が成立した。
保証の内容は、自賠責保険の補償内容に近似している。
(詳細は警察庁http://www.npa.go.jp/higaisya/home.htm )
「ビールのつまみは自家製焼豚に限る♪」
今日は男の料理だ!
と言っても、女性差別ではない。
”男の”とつけたのは、私のような不精な中年男でも、失敗なくチョー♪美味しいチャーシューが作れるからだ。
「市販のチャーシューは、甘ったるくて食べられたもんじゃない!」
と日頃お嘆きのひとには是非トライして欲しい。
さて、本題に入る前に、
笹やんの呑兵衛日記になぜ料理自慢が多いのか?
不思議に感じるひともいるようなので、理由を打ち明けよう。
確かに私は料理人でもないのに、
「料理が得意だ。」
と公言している。
素人の料理自慢にしか聞こえないかもしれないが、決してそうではない。
そんな軽薄なものではない。
「生きるためだった。
子どもの頃から、当たり前に料理していた。」
小学校の低学年から、朝夕のご飯の支度が日課だった。
理由は母子家庭だったから・・・
いや母子家庭でも極端な例かもしれない。
でも、私にはそれが日常だった。
母の言い分はこうだ。
「男子厨房に入るべからず!という言葉は嫌いだ。
生きる源は食べることだよ。
そんな大切なことを人任せにするようでは一人前とは言えない。
男でも台所仕事が出来て一人前だ!」
そう言って、食材の買出しから飯炊きはもちろん台所仕事のいっさいを任された。
「晩御飯は頼んだよ。」
小学校に入った頃にはもう、買い物籠と財布を任され、近所の市場に通ったものだ。
そして高学年になった頃には、食材の買出しから下ごしらえに始まり、煮物・焼き物・揚げ物・炒め物、たいていの料理は出来るようになっていた。
もう40年以上前の話だが、その当時でも珍しかった。
実のところ我が家の台所は火の車で、母の内職で食いつなぐ日々であった。
母は料理どころではなかったのだろう。
「男でも台所に立て!」
と厳しく言ったのはたてまえだったようだ。
その証拠にいつも私の作った料理に、母はまず感謝の手を合わせた。
「いただきます。」
優しい笑顔を浮かべ、料理を頬張りながら、
「美味しいね。
よく出来たね。
よく頑張ったね。
ありがとう。」
母が褒めてくれるのが嬉しくて、
母の幸せそうな笑顔がみたくて、
いつのまにか私は料理を作ることが、
食べることが大好きになっていた。
いま、男女を問わず包丁の握れないひとが増えているという。
いや、包丁とまな板がない家庭まであるという。
食育の大切さを痛感する。
「おかあちゃん、ありがとう。」
そんな、働き者の母が仕事の合間にに作ってくれた得意料理が簡単叉焼だった。
閑話休題。
さて今日のメニューだが、チャーシューと言っているが焼豚ではなく、煮豚である。
今日のところは中国風に叉焼と呼ぼう。
材料は、豚肉のブロック500g。
モモ肉でもバラ肉でもロース肉でもなんでもよい。
好みと懐具合を天秤にかけながら適当に選べばよい。
出来れば国産の黒豚なら言うことはない。
いや輸入のイベリコ豚でも言うことはない。
最初に、鍋に水をはり豚肉を茹でる。
豚肉は水から入れる。
このとき、塩コショウを好みで少々。
茹で加減だが、お湯が沸騰してから20分程度が頃合だ。
500gの塊ならこのくらいで、いったん火を止める。
そして湯から肉塊を引き上げ、思い切って真っ二つに切ってみよう。
ここで、肉の真ん中から血が滲まなければOKだ。
少し血が滲むようだったら、もういちど鍋に放り込んで5分~10分、火にかけよう。
くれぐれも、煮すぎないよう注意しよう。
煮すぎると固くなりパサパサして美味くない。
次に、写真(左)のように煮あがった豚肉をビニール袋に入れて、醤油を注ぐ。
醤油以外に味付けはいらない。
「えっ!いらないの!?」
ビックリするかもしれないが、
「いらない!」
あなたが甘党なら、少々味醂を入れてもよい。
子どもも食べるなら、味醂を入れよう。
実は、母のレシピでは醤油だけの一本勝負だったが、私はさいきん味醂入れる派だ。
醤油の量は肉に満遍なく醤油が漬かる分量だ。
皿や鍋で漬け込むと、醤油が恐ろしいほどの分量になるので、必ずビニール袋に入れよう。
そして数時間で、豚肉を醤油から引き上げる。
この時点で、味見をして薄ければ、もうしばらく醤油漬けを継続する。
漬け込みが終了したら醤油から引き上げて一晩、冷蔵庫で寝かせて欲しい。
表面から真ん中までじんわりと醤油味が染みるのに一晩置いたほうが良い。
というわけで一晩寝かして、いよいよ完成だ!
茹でて醤油&味醂に漬け、一晩寝かしただけだ。
「たったこれだけ。」
なんと簡単な料理だろう。
っていうか、料理といえるほどの代物ではない。
「ほんとにこんなもんで、美味しいのか・・・?」
疑う読者も多いだろう。
「美味しいんです!」
こうして出来上がった簡単叉焼はスライスしてそのまま、ビールのつまみに最高♪
〇チャン生麺に乗せても、「まいうー♪」なこと請け合いだ。
刻んで、チャーハンに混ぜても美味い。
ぜひ、騙されたと思って試して欲しい。
写真をご覧うじろ。
誰が作っても見事な叉焼が出来上がる。
「失敗はない。」
いや、これほど単純なレシピだ。
「失敗しようがない。」
お勧めだ。
「チョー簡単叉焼」
スライドは私がよく講演で使う1枚だ。
「家族と健康を大切に、周囲の笑顔を大切に、一度限りの人生やりたいことをやるべきだ。」
私はいつもこう語る。
昔、欧米では
「TIME IS MONEY.」 =「時は金なり。」
と言った。
はたしてそうだろうか?
人生の砂時計は今この一瞬一瞬も落ちている。
そう、この文章を読んでいるこの瞬間も、我々の人生の砂時計は一粒一粒ポトリポトリと落ちて続けている。
重要なのは、砂時計の上部分の砂の量は限られているということ。
そう限りがあるのだ。
そう考えると、
「TIME IS LIFE.」=「時は人生そのもの。」
と考えるほうが正解ではなかろうか。
だからこそ、いまこの一瞬一瞬を大切に生きようと思う。
「限りある人生をどう生きるかが大切だ。」
皆さんは、「人生時計」というのを知ってるか?
自分の年齢を3で割ると、人生を1日24時間に例えて今が何時くらいか、およその時間が計算できる。
【人生時計】
□歳÷3=□時
例えば、いま36歳ならば計算式に当てはめれば、12時になる。
36歳は人生を1日に換算すると、ちょうど昼の12時となる。
ちょうど人生の半ば。
なかなか面白くありませんか。
皆さんも自分の年齢を3で割ってみよう。
ちなみに私は今年54歳になるので、3で割るとピッタシ18時。
「やった終業~。これから楽しく呑んだるでえ~♪」
ってなもんだ。(笑)
実は、人生時計を逆算すると、72歳が1日の終わり24時となる。
私はこの72歳という数値は案外正しいのではないかと思っている。
「日本人の平均寿命はもっと長いんじゃないの?」
もっともな意見だ。
確かに日本人の平均寿命は直近のデータ(2012)によると、女性86.41歳、男性79.94歳で、72歳より遥かに永い。
ちなみにこの数値、女性は世界1位、男性は世界5位である。
いっぽうで最近、健康寿命という概念がある。
2000年にWHOが提唱した。
単純な寿命を延ばすかが大切ではなく、健康に生活できる期間「健康寿命」をいかに延ばすかを重視しようという考え方だ。
この概念をもとに日本人の健康寿命を測ると、
女性は73.62歳、男性は70.42歳、平均するとちょうど72歳前後になる。
そう、「人生時計」の24時がピッタリ72歳にあたる。
偶然の一致だと思うが興味深い。
今後、医療の向かう方向は間違いなく「健康寿命をいかに延ばすか」にあるのだと思う。
人生時計の24時で1日を終わるのではなく、午前様を遥かに越えて朝陽をみるまで元気に楽しめる、そんな日が来るかもしれない。
とは言え、いくら医療が進化しても命に限りがあるのは変らない。
そう、人生には必ず限りがある。
人生の砂時計には限りがある。
だからこそ、私は思う。
「家族と健康を大切に、周囲の笑顔を大切に、一度限りの人生やりたいことをやるべきだ。」