いや~、映画って本当に良いものですね。

ではまた(政治利用させてもらおうかな)。

https://www.psr.ph/index.php/award-winning-asian-indie-films-showcase-cinemalaya-2015/

上記HPより画像をお借りしています。

 

○シアター・プノンペン/(ごめんなさい、カンボジア語(クメール語)での原題表記の仕方がわからず……英題は『THE LAST REEL』で、もともとの原題も『フィルムの最終巻』という意味だそうです)

監督 ソト・クォーリーカー

☆☆☆

出/マー・リネット(主人公ソポン)、ルオ・モニー(ソポンの極悪彼氏)、ソク・ソトゥン(映画館館主のおっちゃん)

 

 毎回記事を楽しみに待たせてもらっているタイレンジャーさんがお勧めしている作品、『シアター・プノンペン』を観ました!! 字幕なしでよければオンラインで無料で観られるよ、との事でしたが、冒頭の遊園地の場面までちょい見してみてすでに面白そうだなと思ったので、やはり日本語字幕必須! と思いレンタルして視聴しました。

 

 まず、撮影のレベルが高い!

 比べるこっちゃないとは思いますが、私エド木の嫁さんの出身地である台湾映画の多くが……言っちゃうと「地上派放送」的な撮影をしている(もちろん作ってる人によりますよ!)事を思うと、繊細な色彩使いとか(暖色系多し)それを潰さない照明技術とか、何かを変に強調しない雑多な美術(衣装含めて)が合わさって観ていて心地良いです。

 でも脚本は割と大雑把!!

 主人公であるソポンの彼氏とか、脈絡なく銃をぶっ放す凶悪男GUYして登場するのに、何をライジングしたのかどんどんどんどん愛に目覚めて、いつのまにか凶暴さの欠片も無くなっています(というか映画の中で一番感動する台詞を言うのが彼である)。

 あと話運びの順番? っていえば良いんですかね? ちょっとおかしくないですか?

 お父さんが「娘ぇ、かわええのう」って写真見てニヤニヤする場面の後で「娘ぇ! 俺が決めた相手と結婚しないとぶっ殺すぞう!」みたいなテンションになるので……複雑な心境を表している演出だとは判るのですが……とにかく違和感があるう(笑)。

 それと大学の映画学科の先生ですね。都合良すぎて逆に違和感無かったわよ。

 ……でもね、そういう弱点の数々も全部OKになっちゃう。

 失われてしまった最後の1巻を再現しよう! ってなって、実際に撮影が始まった辺りの面白さがとてつもないんですもの。

 若い2人が演技の練習をする。関係ない近所の人たちがそれをみてる。もうこれだけで映画を観ている方はホッコリしちゃうんですね。

 何かを演じる事の楽しさ。別の人生へ思いを馳せる事の素晴らしさ。そして、それを分け合える「映画」という媒体。

 タイトルが最後のリールってのも気が利いていて。

 結末は自分が付ければ良い。

 やり直しても良い。

 そしてこの映画が描くのは、やり直せるのはあなただけでは無いんだよ、という物凄く重要なメッセージ。

 最愛の人を殺された。許せない、ぶち殺してやりたい――そんな風に憎まれている側の人間であっても変われるんだという事。そしてそんな最低人間が変われるんだ、変わったんだという事で、許せないという思いもまた、いつかは、もしかすると、変わっていくのかもしれないという。

 変わらない/変えられない 事なんて何も無いんだと。

 とても豊かなメッセージを頂けました。

 ……でもお母さんは何も知らないまんま! ってのはどうかと思った次第! というか娘と息子が、父親こそが母の最愛の人に直接手を下したその人であるという事実をどう咀嚼するのかがちっとも描かれないので、ここはモヤっとが残りました。

 ポルポト政権の俗称であるクメール・ルージュについては凄惨なエピソードが数々ありますが、ちょっとかじっただけの僕でも非常にショックを受けたのが、「眼鏡をかけている人は殺す対象となる(メガネはインテリっぽいから)」というエピソードです。

 どこの政府も同じ。狂っている。

 なんか『シアター・プノンペン』から離れちゃうんですけど……

 映画って物の責任とかについても考えさせられてしまいました。ナチスドイツは映画を宣伝にバンバン利用していた。日本だって、映画やテレビ番組なんかを日本政府にとっていいように利用してきたし、いまもしている。

 映画の黄金時代。映画こそが娯楽の王様だった時代。そんな時代に映画館を沸かしていたのは……男尊女卑であったり、戦意高揚であったり……。

 もちろん、芸術の担い手として戦争反対を見事に謳いあげた名匠たちもいました。いました、けど……その名匠たちの映画「だけ」を僕たち観客は消費するわけじゃない。素晴らしいメッセージを込めた映画を観て「映画という媒体」が好きになった人が、戦意高揚映画も次々に観て「映画を観たから形成された蒙昧さ」って少なからずあると思うんですよね。

 僕は映画を心底必要としているし、好きだ。芸術を利用してるやつらが一番悪いって事も理解できてるつもり。でも、映画ファンが一生懸命に「映画は素晴らしい!」と訴えることは、ほんのかすかにでも芸術を利用する事しか考えてない連中の後押しになっているんじゃないかなとも思える。

 文化や純粋な娯楽こそが、人間として生きるうえで最も楽しみたい部分だし、作り出したりしたいものなのですが……別にそういった物をまったく大事に思ってない連中にcool japanとか言われちゃうと、やっぱり無邪気に好き好きだけ言ってていいのかなあなんて、考えちゃうよなあ。

 

https://ciras.cseas.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2017/10/CIRAS_DP67.pdf

上記は、アジア映画に関する研究<CIRAS Discussion Paper No.67 不在の父 混成アジア映画研究2016 京都大学東南アジア地域研究研究所 山本 博之・篠崎 香織 編著>のPDFファイルへのリンクです。めちゃんこ知識が深まりますので是非(80ページ以上ありますが、『シアター・プノンペン』に関する記述は最初の方の10ページぐらいです。一応後半にもカンボジア映画の情勢についての文章があるけどタイトルが出てくるぐらい)。

 


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