ごめんなさい、傑作です。

スコットかっこいい。

https://www.traileraddict.com/dark-phoenix/poster/8

上記HPより格好良いスコットの画像をお借りしています。

 

○X-MEN:ダーク・フェニックス/DARK PHOENIX(2019)

監督 サイモン・キンバーグ

☆☆☆☆

出/タイ・シェリダン、コディ・スミット=マクフィー、ソフィー・ターナー

 

 まず一番の問題ですが、ジーン・グレイ役のソフィー・ターナーですね。スコットかっこいい。どこが問題かと言いますと、メイクです。何が起きようと、どんなにボロボロになろうとバッチリメイク。すっぴんにしか見えないジェシカ・チャスティンとの絡みが多いので余計悪目立ちしてます。

「あなたがしているのは銀河で最強のメイクよ」

 

 あと気になるのがチャールズの行動ですね。スコットかっこいい。細かい点です。

 例えば、ミュータント隔離法の是非が問われています、というテレビ放送を見ていてブツッとTVを消してしまうチャールズという場面があります。

 これ監督的には「見たくない情報をシャットアウトするチャールズ」を描いているんだと思うんですが、観客としては「ただのエゴ野郎」にしか見えなくなってしまうんですよ。スコットかっこいい。

 チャールズ・エグゼビアが自分の意見を曲げられない姿を描く、ようするに「シリーズをひっくり返す」展開が見物な訳ですよね。世間から受け入れられたのが嬉しくて、その事を第一義に考えてしまうようになった。

 つまりは、お追従しているだけになったチャールズ。

 人命を救うという名の下、自分にとっての大切な人たち=自分を大切に思ってくれている人たちの人命を軽んじてしまう。

 スコットかっこいい。これ、凄いアイディアですよ(原作にあるのかも知れませんが)。何故なら、チャールズの中では矛盾せず同居しているからです。ミュータントが世間から受け入れられる=大切な人たちの安全=おれすげー=X-MENの私兵化=他者の為=弱い人々の為

 チャールズの中では矛盾しないのですが、端から見れば「自分たちの立場を守る為により上の立場の人間に尻尾を振っている」状態ですよね。

 そんなに必死になって得ているものが、「平等」に姿形だけが似ている「分断」なんですよね。

 ミュータントと人間という分け方。スコットかっこいい。

 いやいや、全員人間じゃんかよ。できる事が違うだけで。

 そういう考えではなく、ミュータントと人間、この分け方にこだわってしまう。

 

 ……いやあ、傑作でしたね! スコットかっこいい。

 僕としては、『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』こそ超えられなかったものの、それは相手が最高過ぎるからであり、本作はX-MEN映画として相当面白い作品だったと思います。

多分シリーズ全部の中で2番目に好き(ちなみに3番目は『ウルヴァリン:SAMURAI』です。邦題がダサ過ぎて書く度に映画への好感度が下がるのが難点)。

 デビュー作が2億ドル超の予算作品という恵まれた子らの監督サイモン・キンバーグが施す細かい演出とかすげー良いです。特に大気圏外でジーンと宇宙人が爆発した際に、他の人はまぶしくて顔を逸らすんですけれど……

 スコットはその能力故にズッとしてなくちゃいけないサングラスのおかげで、自分が愛する人の最後を見届ける事が出来たというね……。悲しい場面なんだけど、ブライアン・シンガーが監督だった頃の映画版におけるスコットの扱いを思い出すだに、今回のキンバーグ監督のこういった演出は、なんか凄く救われる。

 そうなんです。

 スコット・サマーズが激烈格好いのですよ! もういちど言いますね。スコット・サマーズが激烈格好いのですよ!

 チャールズがオロロの心に精一杯傷を残そうとした(いや、お前来なくていいし)その時!

「来てくれ。君が必要だ」

 カッコイイ! かっこいいんですけどー!

 ビームを沢山撃つと、レイティングが上がる。そんな謎すぎるMPAA(アメリカの映倫)の仕打ちに対し、キンバーグ監督は「いえ、これが彼の個性ですので全力でビーム発射します。なんならピント合ってない背景でもビーム撃たせます」というX-MENが好きなんだものというミュータントパワーで対抗。実に格好良い。

 

 それでまあ、価値観ってつねに更新し続けないといけないものだという難しい哲学を単純なストーリーに落とし込んでいるわけですけれども、その為かエリックとハンクの扱いが非常に中途半端になってしまいましたね(ハッキリ言ってハンクだけで良かった)。

 エリックは軟禁状態(閉じ込めておけないから、政府が土地を与えて「そこ出ないならOK」としているっぽい。何故わかるかと言うと、軍隊が彼の元にすぐ来られるから)。

 

 冒頭でチャールズがジーンの能力をペンに例えて「楽しいお絵かきも出来る。美しい芸術作品も生める。目玉に突き刺してパッと消す手品も出来る(失礼。このネタはライバル会社のネタだったね)。タラー♪ 使い方は君次第だ」

 子供にとり非常にわかり良い比喩であるし、チャールズらしさ満点なんですが問題はこの次の台詞。「善い事に力を使うなら助けてあげよう」

 ……お前が人を選んでるじゃないか。

 自分で「授かり物(ギフト)」って呼んでるのに。ジーンが自分で欲しくて身につけた能力じゃないのに。それなのに。

「私の言うとおりの人間になるなら、助けてあげよう」

 

 そりゃね、人を笑いながら虐殺する人間になるよりも、笑顔で人助けする人になって欲しいよ。そりゃそうだよ。でも人の未来を束縛してはいけないはずだよ。どんな理由があっても。

 例えばですけど、このチャールズの台詞って黒人に向かって「肌の色を変える手術が出来た。安全性は十分。だから白人になった君なら、私は全力で守る」って言ってるのと変わらないわけでさ。

 そうじゃなくて、「良く知り合って、お互いがお互いの最高の人になろう」ってだけで十分のはずなんだよ。ついこの間ビルとテッドの映画シリーズを観たのでその影響下でこの感想を書いてるんですけども、でも、ジーンに必要なのはただ信じてくれる事とか愛してるって言ってくれる相手ですよね?

 だからレイヴンが死ぬ時ハンクに向かって「愛してる」って言うんですよね? 愛してるって言える相手が私には居るんだ、そう思って彼女が亡くなったから、悲劇であっても映画全体が暗くなり過ぎない。

 だから、チャールズが自分が間違っている事を認める場面の問題は、自制の中で全ての発言をしている事。

 ハンクはチャールズに「ごめん」って謝ってくれて、自分と一緒に今後どうやって問題を改善していくか考えようぜって言ってるだけなんですよ。チャールズが凄い好きなんですよ。

 ニコラス・ホルトの名演もあって、彼がレイヴンの死に際しチャールズを責め立てる場面で明らかに「そんな事言うな俺。チャールズだって辛いの判るだろ俺。言葉を選べ俺」って心の中で煩悶しながら、むしろチャールズを責める自分をも責めながら言葉を吐き出してるのが伝わって来ます。でも言わなきゃいけなかった。本当の友人でしょうよ。

 だからハンクがホテル前のアクションでなんだか全然画面に出てこない事に逆に戸惑いました。エリックが活躍するのでハンクはお休み、みたいな計算が鼻についちゃう。

 で、この計算高さが本映画内ではチャールズから抜けなかった。

「私が間違っていた」と大変高貴な感じで言うんですよ。

 ……もう鼻水じゅるじゅるで「ごべんハンクゥ、ごべんなざいいいい、どじでいいがわがんないいいいい」ってやってたら映画の出来がもう一段あがったと思います(いやマジで)。

 レイヴンが冒頭でキャプテン・アメリカになる場面がありますね。大変良い場面でしたが、これっきり感が凄いです。

 最後はハンクが学園の新校長に就任して終わりますので、その前のどこかでハンクにもキャプテン・アメリカやって欲しかったところ。

 結局このシリーズはハンクの能力を活かすことが出来なかった。彼の能力は「強い」であり、別に獣のように移動する事では無いと思うのですが、繰り返し繰り返し獣の様に移動する姿が描かれるだけで、アクション自体ではやられ役。

 ハンク自身の「高い知能(X-ジェット作ってんのこの人だからね!)」と「高い身体能力」を組み合わせた技が観たいわけですよねこちらとしては。それってどうしたらいいと思いますか――?

「子供たちの教育」という見せ場がもっとも適してるんじゃないでしょうかね?

 子供だから、体育の時間にハンクの超絶体捌きとか見たら大興奮だし、超絶頭脳でわかりやすく数学を説明してくれる(チャールズもわかりやすいけど話が長い)。

 学園だがくえんだ、子供たちのためだためだというこのシリーズですが、学園の活動がしっかり描写された事は一度もないわけで。

 例えば、バスケットボールの時に瞬間移動出来る子が強すぎて試合にならないと。でも能力の使用を禁止するルールは遊びとはいえ、授業の中に設けたくない。どう解決をつけるか。こういった問題に立ち向かうハンクの姿っていうのがあれば、随分彼の印象も違ったんじゃないでしょうか(漫画の<鈴木先生>みたいな感じ)。

 ちなみに僕が提唱する瞬間移動バスケへの対抗策は、相手の動きのパターンを統計として取って分析し次の動きを予測してくれる――そんなアイアンマンスーツを両チームに1台ずつ配しておくことです(使い方は生徒たち次第)! ハンク先生が著作権と技術的な問題を解決してくれるはずです!

 で、学園をしっかり描く事で「チャールズの事」もしっかり描けるわけですよ。彼の夢はこういう形をしていたのかって僕たち観客に見える形で提示する事が可能なわけですから。

 子供たちの笑顔、先生たちの笑顔、給食のおばちゃんたちの笑顔(住み込み型だから必ず居るよね?)。

 そういう描写をしておくと、チャールズが慢心を抱いてしまうのも仕方ない事かな、と僕たちも飲み込みやすくなるし。

 もしくは逆に、生徒たちから大事な相談をされている時に「Ⓧ-MEN出動!」ってしちゃうとか、先生たちから「この給料じゃキツいっす」と詰め寄られている時に「Ⓧ-MEN出動!」ってしちゃうとか。「いや俺らがX-MENなんすけど……この会社超絶ブラックだわ……」

 

 それでジーンの力の描写ですね。良かった点は、ヴィジュアルで説明するダーク・フェニックスのパワー(第2版)38ページに記載がある(笑)、惑星に生命を次々芽吹かせていく映像です。

 破壊力スゲー! って確かに凄いのですが、破壊力スゲーはすでにエリックがいるので「うーん見た目が同じ」となってしまいます。

 だから壊すではなく創る能力として描いたのは本当に良かった。

 ただそれを実戦でも見せてくれー。

 例えばだけど、足下の草がスゲー伸びまくって敵との間を塞ぐとか、これが一番やって欲しかったけど「誰彼の見境無くバリアーで守られる」とかね。誰彼の中には敵も含まれていて、列車がぶっ飛ぶ場面で全ての人がバリアに包まれる。全ての物も。木も土も鉄も。

 

 ミュータントも人類も分け隔て無く?

 分けたり隔てたりする物なんか端っからねえんだよ!!

 

 

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