容疑者発→ジョーカー行き

https://daman.co.id/im-still-here-dvdblu-ray-with-joaquin-phoenix/

上記HPより画像お借りしています。

 

○容疑者、ホアキン・フェニックス/I'M STILL HERE(2010)

監督 ケイシー・アフレック、

出/ホアキン・フェニックス、

 

 まず邦題に関して。キャッチコピーの「信じた私が、バカでした」はちょっとどうにかならなかったかなと思いますが、「ネタが割れた上での」日本公開に際して容疑者というフレーズをタイトルに冠したのは上手だと思います。

 

 うんと……映画単体として評価を下すのは、『ブレア・ウィッチ・プレジェクト』と一緒で「完全なフィクション」だと知った上でしか映画を観ていない僕には出来ないのかなと。これを前提とした上で、まあ映画としての出来は決して良くない。

 何故なら、ドキュメント感が希薄で劇映画感が強いからです。

 本編中にも「引退自体がヤラせ」であるという情報をマスコミが得ている、というのを盛り込んで現実と虚構に揺さぶりをかけていますが、そもそも虚構部分の出来がよろしくないのです。

 ホアキン・フェニックスのキャラクターが「決定的な弱音」をとにかく吐きまくる。カメラは常にそれを映している。で、本作の監督であるケイシー・アフレックはホアキン・フェニックスの義理の兄弟であり自身も有名な俳優である訳ですが「ホアキンとケイシーのやり取り」がほぼないのです。第2カメラの存在を知らせる為にかチラッとケイシー自身が映っている場面もあるのですが(『ジェシー・ジェームズの暗殺』と『ゴーン・ベイビー・ゴーン』の話が出てきたりの場面もあるものの)、基本的にホアキンはケイシーに話しかけません。

 これは結構強烈な違和感です。

 2人の関係なんて本当の所は知りませんが、ホアキンが再スタートの人生を記録する許可を与えた人物という設定な訳で。前半の「娼婦を買い漁るホアキンとその友人」の場面とか、一切ケイシーが絡まず撮影だけしている、というのは流石に不自然ですよね。なんというか、ケイシー自身のキャラクター付けがされていないのが気になってしまうんです。多分監督としては、どこまでも冷徹に撮影している事実こそキャラクター付けである、みたいな主張なんでしょうけれど……これはもう、ネタが割れる前に観ないと判断が付けられないのかなー。

 そしてまあ繰り返しの多いこと。ホアキン・フェニックスはヤバい壊れた奴、というイメージを映画は必死になって訴え続けます。これこんなに何回も描かなくていいでしょうに。というか全編に渡る奇人演技なので逆に慣れちゃう。

 繰り返しといえば撮影もそうで、とにかくホアキンが寂寥感を抱く場面で必ずと言っていいほどカメラが後ろに下がるんですよ。引いた画にしたい狙いはわかるのですが、これ毎回やっちゃうと「夢破れる辛さ」とか「本当の自分を伝えられない孤独感」とか、違う事を表現している筈の場面が似た印象になってしまうのでただただ映画にとってマイナスです。

 あと編集なんですけれど、これがもっとも問題かな。怒鳴り合いとか見どころになると普通にカットバックしちゃうんですよ、ドキュメンタリー作品という前提であるのに。これはいささか芸が無いというか。

 真実味を出さない事が作品にプラスかと言うと、「冗談であれ実際に騙されて傷ついた人は幾人かいるだろう」と思われる企画なので、せめて作品としてもうちょっと作り込んで欲しかったかな。製作者たちだって、作品の出来まで冗談にしたい訳じゃないでしょ?

 

 さて。現在(2019/12/13)ではこの『容疑者、ホアキン・フェニックス』という映画の価値はうなぎ登りですよね。『ジョーカー』が公開され高い評価と爆発的な売り上げを記録していますから。

 本作はただの冗談です。ホアキン・フェニックスは俳優業を引退してないし、本作公開後に監督であるケイシー・アフレックと揃って「ジョークでした」との発表をしている。そして大顰蹙を買った。

(アンディ・カウフマン的な)冗談として昇華させるには、「冗談でした」というネタバレはしない方がモチロン良かった訳ですが、ホアキン・フェニックスのキャリアを守る為には絶対に必要な処置ですよね。まあその後に『ザ・マスター』で完璧な復活を遂げる訳で(アカデミー賞にもノミネートされましたし)単に「やり過ぎちゃった」過去として消える筈だったのが……。

 上手に効かない腹立たしいジョーク(笑えない)。

 最後の方で人々が彼の真似をし出す(髪と髭。ホアキンという仮面)。

 メディアと自身の距離感(成りたい自分と現実)。

 ラストで己を消失する(でもI’M STILL HEREである)。

 そもそも冗談である。

 などなど、数え上げたらキリがない程の『ジョーカー』との一致。これ、『ジョーカー』の監督であるトッド・フィリップスはどれぐらい意識してたんでしょう。てっきり『ザ・マスター』とかを観て「ジョーカー役はホアキン1択で」という風になったと思っていたのですが、思いのほか『容疑者、ホアキン・フェニックス』が残した傷跡は深かったと思わされますねえ。

 とまあ、結果として、本作はホアキン・フェニックスのキャリアや人柄(自身製作も兼ねてます)を雄弁に物語る映画となったように思われます。

 いや、面白くはないんですけれども。

 

 いま気がついたんですけれど、ホアキン・フェニックスってジェームズ・グレイ監督作品で2回、マーク・ウォールバーグと共演してますよね……ウォールバーグってマイキー・マークという名前でラップを歌ってた時期もありますが、果たして。

 モデルか……?

 

 

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