○ハンニバル・ライジング/HANNIBAL RISING

監督 ピーター・ウェーバー

☆☆☆

出/ギャスパー・ウリエル、コン・リー、リス・エヴァンス(いつも良いけど今回も良い)

www.fanpop.com/clubs/hannibal-lecter/images/24546941/title/hannibal-rising-wallpaper
上記HPより画像お借りしています。

 

 完全に終わったコンテンツを、過去のヒット作の続編だからというだけの理由で掘り起こし、ギャラの高くつく前作関連の俳優を使わなくて済むように時代を過去に設定し、『羊たちの沈黙』とはほぼ無関係な映画として完成させた……。

 おっもしろーい!!

 なんじゃこりゃ。死ぬまで観なくてもいいかなリストの筆頭に近い位置にある映画だったはずなのですが、NETFLIXでの配信がそろそろ終わりそうだからという理由で暇つぶしに観てみれば……僕は映画ファン失格! と声を大にして叫びたい程の面白さでした。

 まず、リス・エヴァンスが出演しているのを知らなったです。僕は氏の大ファンなのですが、ハンニバルシリーズがどうでもよすぎてまったく調べなかったので、映画を観はじめて「え? リス様ご出演?」とビックリするやら嬉しいやら。

 それでまあ、映画の出来自体も結構良いんですよ。

 監督が良かったんでしょうね。ピーター・ウェーバー監督は『真珠の耳飾りの少女』や『終戦のエンペラー』を撮ってる人みたいです。僕は本作以外に一本も観ていないので、今度観てみたいと思います。要注目の監督さんですよ。

 まず、子供時代の爆発場面のカット割りが凄く良いですよ。パッパッと画面を切り替えて、爆発の派手さではなくて、影響の方を感じさせる様に編集されています。子供時代は全般的に撮影も編集も気が利いていますね(回想じゃないのに汚いスローモーションを使っちゃったのはマイナス点ですが。多分大人になってからの場面と共通点を出す為に、回想用に撮ったショットを編集する時点で盛り込んじゃったんでしょうね)。

 気になる点と言えば、お母さんが死んだ際のカメラぐらいですね。「ママー!」って上から見下ろすアングルなんですよ。『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』とかでお馴染みの超ダサいカメラアングルですね。

 なんで大変良い感じで来ていたのに急にこのカメラアングルが飛び出したかと言えば、まあ「ハンニバルが信仰を持っている」のを示す為ですよね。上を向いて叫びますからね。オトナ編でも、死刑囚の口に十字架を入れる場面がありましたし(キリストっぽい動き。というか聖餅を信者にくわえさせる神父の動きか。後にワインを飲む場面もありますね)。

 ちょっとプロデューサーのディノに無理矢理突っ込まされている感のある場面がちらほらあるのも残念ですね。特に最後の船の爆破場面は酷かったかな。派手なだけでね。そしてコン・リーが「ハンニバルゥ!!!」とか叫ぶのですが、本当にマッチしていません。ハンニバルと完全に決別し、呆然と船を去ったレディ・ムラサキが愛しい人の死に際し叫び狂う! これありえないですよ。証拠に、当然生きているハンニバルが森の中へ姿を消すのを呆然と見ているレディ・ムラサキが「ハンニバル……」って呟くじゃないですか。こっちだけで良かったし、多分監督はこっちだけで編集していたはず。船の爆破自体も再撮影じゃないかな~と睨んでいます。

 船周りで言うと、船員の一人が船と壁に挟まれて死にますけれど、なんかそれを助けようとする人とでかなりの尺を割いているんです。何か意味のある場面なのかと思っているとそんなこともないので、さっぱり意味がわかりません。そもそも、ハンニバルは何故船員たちを生かしたままで行ってしまうのか。「彼らは妹を食べてないから」なのか。じゃあなんでパン屋を殺したのか。

 これって本当は、他者に同情する事が出来ないハンニバルを表したかったんじゃないかな。船が人身売買(もしくは性奴隷にして強制的な売春をさせている)の舞台なのもその一環なんだと思います。だからリス・エヴァンス邸に乗りこんだ際、暴力を受けている女性が「殺して!」ってハンニバルに叫ぶんだけどハンニバルは全然気にもしないっていう描写があるんですよね。

 リス・エヴァンスが戦時と変わらず酷い奴! というのを表すためだけの描写であるなら、余りにもリアリティが無いというか(手広くやり過ぎ感がでちゃってる)。

 だから助けを求める人の描写って本作においてはとても大事で、「強制的にセックスさせられている女性満載の船を操る二人」ですら、お互いの命を大事にしているんですよ。だからそれをなぜハンニバル抜きの場面にしてしまうのかがわからない。

 さらに脚本の駄目な点ですが(脚本は原作者であるトマス・ハリスが担当)、ハンニバルがレディ・ムラサキを逃がさないという事です。水責めで殺す場面の後でレディ・ムラサキは誘拐されますが、あの男がハンニバルの通う学校に来た時点で氏名年齢住所出身地などなど全部相手に知られている、というのが確定しますから、レディ・ムラサキを逃がさないというのはおかしいですね。

 彼女をおとりにしているだけだと思って観ていたら、誘拐に驚くハンニバルという描写がありますのでね……。そしてハンニバルを見張っていた警察は、どうなったの?

 また、これが一番致命的ですが、ハンニバルも妹の肉を食べていたというのがオチになっているんですね。もっと正確に言うと、妹の肉を自分も食べていたのを知らなかったハンニバル、というオチです。

 観ているこっちとしては、ハンニバルが自分も妹の肉を喰らった自覚があるからこそ、人肉食いにあそこまで執着しているんだろうなと思っていたわけですから、「今更なに言ってんの?」としか思えませんでした。

 そもそもその事実をハンニバルと妹を喰った連中が共有していないのなら、何故リス・エヴァンス以外の奴はその事実を使って身を守ろうとしなかったのか。「お前だって食べただろうが!」ってさ。

逆にそれを脚本に盛り込んで、「ご馳走のお礼だ」みたいな決め台詞があっても良かったかな。

 はい、後は日本描写ですねー。

 僕自身はハリウッドの珍奇な日本描写自体が大好きなので、もちろん本作も気になりませんでした。それに、日本刀を扱う上でのちゃんとした知識も持ち合わせておりませんので、そもそもこの映画の描写が珍奇なのかどうかもわかりませんしね。

 天涯孤独な日本人女性が、同じようにこの世に独りきりであるハンニバルに、強くあれと剣道を指導するわけで、確かに武者のお面がレクター博士のアレに見えるってのはやり過ぎだし嫌でしたが(ポスターの為でしかない)、日本描写の数々は結構感動的なんですよ。

 また、刀や鎧を決められた順序で清めたりするのが、やたら儀式めいて人肉を食べる後のレクター博士を連想させもするではないですか。

 ハンニバルを止める為に自らの体を与えようとするコン・リーのエロさも良かったし(妹から始まって、男に食い物にされる女性というのもテーマですね)、実際にお互い愛が芽生えるのも何だか『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズの様だし(あのシリーズは主人公とうら若き叔母が恋をする)。

 あとはそうですね、惨劇の舞台となった山小屋へ成長したハンニバルが戻った時に、リドリー・スコットの『ハンニバル』に出てきたイノブタ(レイザーバックだっけ?)を連想させる猪が中に居てハンニバルビックリみたいな描写があるんですけれど、なんにも意味ないよね。『ハンニバル』シリーズでっす、というのを強調するだけで。

 そもそもこのイノブタがオープニングタイトルの所でも出てくるんですよ。本作は撮影が非常に美しいんですが(撮影監督は近年マーベル映画を多く担当するベン・デイヴィス)、イノブタの登場で「はいはい」みたいに感じちゃうし、とどめにタイトルデザインが「この後惨劇の舞台となる地の自然を美しく切り取った」映像にまったく合ってないんですよ。監督ここは怒っていいよ。

 本当に、あと少しの丁寧さでかなりの傑作になっていたんじゃないでしょうか。現状のものでも大分面白く観られるので、ピーター・ウェーバー監督、頑張って!