○ミスター・ガラス/GLASS

監督 M・ナイト・シャマラン

☆☆☆

出/サラ・ポールソン(魅力の乏しい精神科医)、スペンサー・トリート・クラーク(9歳のままなのは、彼では……?)、アニヤ・テイラー=ジョイ(今回はジョイ無し)

 

https://movieweb.com/movie/glass/

上記HPより画像お借りしてます。

 

Mというのはシャマラン監督のファーストネームですが、

 

 

「責任者を電話に出せ!」

「なんのようだ?」

「そっちの名前は何だ!」

「シャラップ! シャ、シャ、シャ、シャ……」

                     (『パンチドランク・ラブ』より)

 

 ……シャマラン。人類は、Mよりもシャマランとして彼を認識しているのではないでしょうか(友人はナイトって呼んでいるっぽいですが)。

 いえね、こんな「人の名前で遊ぶ」のが失礼ってのはわかっていて、シャマラン映画の感想を書く際には、毎回まいかい「本当に辞めなくちゃ」と思ってはいるのです。思っちゃいるけどやめられない。自分、最低です(公式もな!)。

 

 というわけで、『スプリット』が最高だったナイト監督が、そのままストレートに『アンブレイカブル』と『スプリット』の合体続編! を撮ってくれた!! 楽しみ過ぎるー!!! 状態だったんですね。『スプリット』の劇場公開時、多分日本オリジナルでエンドクレジット後に「続編のGLASS(原題)製作決定」みたいなテロップが表示されたんですが、もうそれを見た瞬間から心のガラスがとろっとろになりまして。

 

 急ですが、僕にとってのシャマランベストランキング。

 

1  『アンブレイカブル』

2  『サイン』

3  『スプリット』

4  『シックス・センス』

5  『ヴィジット』

6  『翼のない天使』

7  『レディ・イン・ザ・ウォーター』

8  『ハプニング』

9  『エアベンダー』

10 『アフター・アース』

 

 って『アフター・アース』は未見なのですが(汗)、とにかく『アンブレイカブル』が大好き! そりゃ『シックス・センス』だって大好きなんですが(演技充実し過ぎ)、『マトリックス』と近い公開時期で、どちらにも「自分を信じてみる事」の大事さが描かれていた『アンブレイカブル』はもうね、最高過ぎて最高すぎて……いやまあ、『シックス・センス』だってその要素ありますが……もう、ナイト監督最高じゃない!

 これらの作品を観た時期も、丁度ヒッチコックすげー! 的な状態だったのでなお更にナイト監督のテクニックが胸と脳に突き刺さりまして。

 で、最初に「おや?」となるのが、『サイン』ですよ。何におやってなったかと言いますと、ホアキン・フェニックスがアルミホイルの帽子で考えを読まれるのを防止していた瞬間ですよ。もうね、大爆笑。しっかり笑ったその後で……おや、恐怖映画一辺倒ってわけではない? 『シックス・センス』における、手の中を移動する手品の場面みたいなものであるのは判るのですが、明らかにホアキン・フェニックスのこの場面はハミ出してる! もっというと映画の冒頭で家の周囲を走りまわる際のメル・ギブソンが既にハミ出してたよな!(「うおー、俺は怒ってるぞー!」の場面。何回観ても笑える)。

 

『アンブレイカブル』や『スプリット』の未公開映像を差し挟んでくるのも象徴的ですね。ようするに「思い出補正」についての言及かなと。昔は良かった、リメイクだから駄目、続編はつまらない、という口うるさい僕みたいな(笑)映画ファンたちに、一本の映画として観てくれよって感じなのかな。やり口が『シックス・センス』の『スプリット』風編集で作った『アンブレイカブル』続編映画である『ミスター・ガラス』(『サイン』的笑い入り)ですが。

 

 ……今回の『ミスター・ガラス』を観ていて強烈に思った事なんですが……ナイト監督が到達してしまっているな、と。どこに到達したかと言いますと……

「たかが映画じゃないか、そんなに目くじら立てる事じゃないよ」

 っていう境地に到達してるなと感じたんですね。

 なんというか、映画の中で「死」の扱いが凄く軽いんですよね。

 『スプリット』が成功した要因の一つとして、そのシリアスさがあると思います。そりゃナイト監督流の「笑ったもんだかなんなんだか」な場面もあるのですが、映画自体がシリアスに発進してしばらくした後にそういう場面を用意していたので、そんな場面も不気味さに一役買っていましたし、違和感もなかった。

 ところが、『ミスター・ガラス』において、最初の犠牲者であるチアリーダー四人組の描写の軽さったらないですよ。今作の「空気」みたいなものが確立される前から、四人のチアリーダーがほぼ同時に大体おんなじ動きをする、というギャグ画が展開されるんです。いや、この子たち殺されるかどうかの瀬戸際だよね……? と戸惑ってしまうんですよこっちとしてわ。ナイト監督の作品に慣れているにもかかわらず。

 あとラストのどんでん返しですけれど、「はい、どんでん返し始まります」みたいな演出から始まるんですね。『アンブレイカブル』と対になっていると観れば心穏やか……いやいや、今作のはやり過ぎ。馬鹿にしてんのかと思った。

 ネットで動画配信がオチっていうのはまあいいとしても、「CG乙」の一言で瓦解してしまう事に対する納得のできる説明(続編作る気じゃねーだろうな)が無いままに映画が終わってしまうのは痛恨過ぎるところ。また、この場面の音楽が絶妙に「ちょっと明るすぎ」なのも問題です。これは後述。

 で、ですよ。今作のテーマですが。白黒ハッキリ付けられるモノなんてこの世には存在しない。って事ですかね。真実なんてないんだと。だから人は、自分が何を信じるかを選択しないといけないんだよと。

 その為には命も懸けろと。

 いやいやいやいや、飲み込み辛い。すげー飲み込み辛い。

 何故なら、この考えをストレートに飲み込んでしまうとすれば、『アンブレイカブル』における三つの大事故(奥さん、列車だけじゃないんですよ!)の犠牲者たちの「死」が、自分の意思で死を選んだんじゃないのに、必然だったという事になってしまいます。

『スプリット』におけるヒロインへの叔父による性的虐待も、必然だった事になってしまいます(ケヴィンへの虐待もね)。

 何と言っていいか難しいのですが……どんな天命、使命、運命、何と言ってもいいのですが、そんなモノがあろうと、どんなに大勢の人の為になろうとも、その人が幸せに暮らす権利ってそんな簡単に奪っちゃ駄目だろ。特に子供はさ、人生を選択して生きているって完全には言えないわけじゃん。そこに必然性を見出したらさ、壊れちゃうよ。本当に壊れちゃう。私はこういう運命だったんだっていう考えに憑りつかれて、変な宗教信じてるみたいになるしかなくなっちゃうじゃん。

 ……というような議論が起きるのはナイト監督も承知の上で、テーマ的に言えば、そういう事を皆が考えるのが大事、って訳なんですけど……『スプリット』でヒロインのケイシーがさ、最後のさいごに物凄い強い意志を込めた瞳で女性警官を見るじゃないですか……もうこれ以上苦しんで欲しくないんですよ彼女に、僕は。信仰だとか、信じるとか信じないとか、どうでもいい。目の前にいる人を苦しませたくないっていう思い、これだってスーパーヒーローには大事なもんでしょ。

 あー、だからTRUE MARVELか。(ワシントン)DCとかも表記して。……書いていて気が付いたんですが、ようするに昨今のヒーロー映画に納得いってないんだ、ナイト監督わ。結局個を重視する姿勢だけが良しとされるのが気に入らないんだ。

POW!

 

 それで、前述しましたが、音楽がちょっとミスってます。担当は前作『スプリット』から引き続きのウェスト・ディラン・ソードソン。いくら続投とはいえ、オープニングの小気味良さを鑑みても『スプリット』におもねり過ぎですし、ここは新しい作曲家でいって欲しかったかな。

 劇伴でもっとも問題だなと感じたのが、ラストのカメラが引いていくところ(動画配信後)。ここが、希望が伝播していく――みたいな感じになってしまっているんですよ。前述の通りかなりデリケートなテーマに切り込んでいますし、ハッキリ言って音楽つけて意味付けしちゃ駄目でしょ。全く音楽無しとかでよかった。

 でね、ここらへんで感じる訳です。

「これは僕の考えだけど、人にはそれぞれの考え方があって当然。たかが一本の映画だよ、そんなに目くじら立てなさんなや」

 と言われているのかなって。

 でもそれって、なんかショックで。ナイト監督、真剣に作ってないのかなって。自分の考えを発信できればそれで良いのかなって。

 小規模な話が最後で世界規模の大きな話に変身するってのは、『スプリット』で既にやったじゃん! 手抜きか!

 でね、ヒーローの三人が死んで、関係者である新しい三人が「これからヒーローを探す旅に出る」みたいな話になるんですけど……もうちょっと考えて! っていうか殺さないで!(これはファンの叫び)。

 この壊れない男、群れ、髪型が変わった男の三人の「死」も、扱いが軽いんですよ。冒頭の四人のチアリーダーのようにね。

 で、そこからどういう風に問題化しちゃうかっていうと、イライジャが起こした事故の犠牲者たちの人命も軽くなっちゃうって事。で、そこが「所詮フィクション」になっちゃうと、今作でナイト監督が訴えたい事も軽くなってしまう。

 白黒はつかない。真実なんてない。自分で考えろ。

 テーマとして良いんですけど、今回は余りにも観客に投げすぎで。投げすぎっていうか、観客に対して優しくないと言った方がいいでしょうか。

 以前ナイト監督は「ヒットのセオリーをみつけた」みたいな発言をした事があるのですが、その発言後、まったくヒットさせられない時期を経ています。なんつーか、ちょっと、観客に恨みある? 『レディ・イン・ザ・ウォーター』の時に評論家を(劇中で)惨殺したみたいなことの表出が今回の映画って事?

 結局は単なるキャラクターの死だから、そんなに重い事じゃないってか。

 

 最後にネタバレネタについて。

 途中で、「ネタバレに怒ってるけど『エクソシスト』で神父が死ぬのなんて有名じゃん」っていう意味のないネタバレが披露されます。

 これって、ナイト監督が「『シックス・センス』の時とか本当に酷かったんだもん」って事で、散々オチが他の映画でネタにされてましたからね(『50回目のファースト・キス』とか)。でも結構ナイト監督も紳士じゃんって思うんですよ。『エクソシスト』に神父は二人いますからね、どっちが死ぬかはわからないようにネタバレ。こういう風にやりなよ? 的な?

 騎士道精神じゃ~ん。あっ、またやっちゃった!