ロイド映画ではありますが、なんとロイドコメディではないんですね。ロイド最大の異色作とビデオの裏にも書いてあったけど、まったくその通り。『スミス都へ行く』と比較されそうなストーリーラインで繰り広げられるドラマは、男の自分探し。ロイドもラブストーリーも、物語を語る素材に徹して非常に面白いドラマとして成功しています。
 まあ何せロイドが勝手のわからない事態に遭遇して慌てふためくという場面の少ない事少ない事! 申し訳程度のお約束で数場面散りばめられていますが、そこはカルチャーギャップとして描くことで、キャラ造詣に貢献させて上手に処理されているので物語を止めないのが嬉しい。
 また非常に近代的な編集がされており、場面によっては短いカッティングを駆使して活劇を見ている醍醐味を旨く表せています。全体を観ても、テンポの良さはサイレント時代の映画に負けないほど(試行錯誤のカット痕があちこちに散見できます)。
 ラスト付近は音楽を排除し、緊張感を盛り上げる。この場面はなんとスプラッタに挑戦までしてみせるんですが、その前の一大逮捕劇の活劇感に比べると、ちょっとギャグに偏りすぎてカタルシスに欠けるきらいはあるものの、当時としてはここらが限界だったのかもしれません。ロイドのイメージも守らなくちゃならなかっただろうしね。
 ラストでもう一つの大きな挑戦は、ロイドが英語をまったく喋らない時間がかなり長く取られている点です。主役の大スターが観客の理解できない中国語で延々と喋り続けるというこの演出は非常に良い。何が起きているのか判らない、という犯罪者たち及びメイヨール等と同じ気持ちでハラハラできます(トリック自体は現代の観客には容易に想像できてしまうので、残念ですが)。
 今回、恋愛パートは物語の一連の流れの中に組み込まれて見せ場として時間を独占する事は最後までありません。また、さり気ない台詞で伏線を張って恋に落ちる瞬間(メイヨールに詰め寄ってロイドを養護させる発言に導く=男を立てる)を演出していますが、わかりやすさという点において他のロイド映画にはないさり気ない伏線であった事からも、トーキー時代への適応に向けて脚本をより濃い物へ向かわせようという姿勢がうかがえます。
 そしてこの恋のお相手ですが、前述の『スミス都へ行く』を思わせる要素としてキンキン耳障りな声の持ち主だるという特徴があります。スミスだけでなく多くの映画において、はすっぱなヒロインと言えばこうした非常に特徴的な声の持ち主が記号的に配置されていますね。この大勝利では、都会の早いペースの象徴としての起用だったと思われます。もちろん、ペースを握るのは女性の方(笑)。