○嘆きの天使/DER BLAUE ENGEL

監督 ジョセフ・フォン・スタンバーグ

☆☆

出/エミール・ヤニングス、マレーネ・ディートリッヒ、ハンス・アルバース

https://www.brentonfilm.com/articles/the-multiple-language-version-film-a-curious-moment-in-cinema-history

上記HPより画像お借りしています。

 

 愛、愛、愛、愛の物語ね。

 生き方の違う二人、まったく違う人生を歩んできた二人が出会って、互いに恋に落ちる。特に世間知らずのラート先生は、近寄った事すらない退廃的な色香を出す女芸人に熱烈な情欲と愛を捧げる。誰がどうみても、彼女のピンナップに大騒ぎしている学生たちと変わらない。

 この先生、学校でも家でもどこでもいつも引きつったようなしかめっ面をして歩いてる。そんなんで人生楽しいんかいな、と僕たちお客さんが不安になる。だから、そこかしこに織り込まれている笑いにふっと胸が軽くされる。上手いなあ。

 学生たちはセックスしてみたいなぁ、と夢見るだけだけれど、先生はもう大人(しかも初老)だから、恋したあの娘に結婚を申し込む。

 大事なのが、女も先生を好きだという点。常連客がやんやと楽屋に押しかけて、一晩相手をしろと大騒ぎ。見かねた先生がボカリ! 無礼者を退治する。知らん人に暴力振るったことなんてないから、あんまり興奮しすぎて座長までボカリ!

 この一件で、女は先生の愛情を知る。奇麗な愛だな、紳士なんだな。だから結婚を申し込まれて、すぐさまそれに応じた。二人で鶏の鳴きまねなんて可愛らしい真似をしながら、幸せな結婚式。

 ところが人生そう上手くいくもんじゃない。女に入れあげてお泊りまでしちゃった先生の素行は、生徒たちを通してまたたくまに学校に広まってしまう。先生あえなく首。

 五年後。

 貯金もあっという間になくなっちゃった先生は、今では一座で鶏の物まねをする芸人になってる。でも元が芸なんてない男だから、稼ぎが悪くて女房に食わせてもらってる。

 ある日座長が「先生にいい仕事の口が見つかった!」言うて興奮してラート先生に言うのね。故郷の町でやったらあんた、大人気になれますよ、そしたら一流、女房に食わせてもらう事もない。

 でも先生はプライドが捨てられない。結局貧乏だから来るしかないんだけれど、直前になるとやっぱり嫌だ。無理矢理舞台に引っ張り出されて手品の助手をさせられる。もう登場する前から嘲笑が凄い。先生は余りの恥ずかしさに呆然とただ突っ立って何にもできない、昔の教え子が混じっているんじゃないか? 座長は怒り狂って叫ぶ。「鳴け! 鳴かんと殺すぞ!」

 その時、先生の瞳に信じられないものが映り込む。今ここに立っている全ての理由、人生を捧げつくした女房が、きざなフランス野郎と口づけをしている。

 もういい、目が覚めた。こんな人生は糞だ!「ゴゲー! ゴゲゴーゴゲーゴゲー!」余りにも悲痛なトキの声があがる。先生、女房に突進して首を絞める。フランス野郎を殴る。女房を弾き飛ばす。大暴れの末、拘束着を着せられてしまう。

 騒動がおさまって、座長が拘束着を脱がしてくれる。「あんたは教養があるのに、無理をさせ過ぎたよ。まあ落ち着いてよく休むんだな。なに、女のせいさ、直ぐにまた元気になるよ」

 ……ラート先生は、ぼろぼろの外套をまとってこっそり酒場を抜け出す。女の歌声から逃げ出すようにして。学校へ向かった先生は教壇に突っ伏し、そのまま息を引き取る。

 以上のようなストーリーなんですが、特に誰も悪くないというのが何とも言えず虚しさを感じさせます。女房にしてみても、五年間も神経質な夫を食わせ続けた人情も愛情も持ち合わせている。

最後の引き金となってしまったキスも、深い意味はなかった。夜の商売だから珍しくもない事かもしれません。そんなことより夫が気になってしょうがないので目が離せない。調子に乗ったフランス野郎と口づけしていようとも、目は夫の姿を追っている。ただ運悪く、そこで夫と目が合ってしまう。

 先生はクソ真面目に生きてきて、風俗の怪しい愉しさに初めて触れた喜びに頭がしびれてしまった。女房にストッキングを履かせてやる場面に滲み出ていますが、女をどう扱えばいいのかなんて知らない。ただ好き。好きだ。ただ好きなんだ。

 女房の芸がなければ喰っていけないので、二人は五年間夫婦生活をしていて子供がいない。これが不幸を招いた最大の理由のような気もします。先生は仕事をなくして先生でなくなってしまった瞬間、何もない男になってしまいました。家族もおらず、友達もいないのでしょう。学校で嘲笑されても平気だったのは、ガキが教授に向かって何を言ってやがる、という自信があったからでしょう。教授職というプライドがあった。それはわざわざ表札にプロフェッサーと書いている事からも伺えます。

 最後、先生が縋りついたのは教壇です。生徒は独りもいない。教授職が好きだったのは地位であって、教鞭が好きだったわけではないからです。元より孤独なお爺さんだったのです。

 だから子供がいれば、あるいは救われたのかもしれません。先生は再就職しようとはしなかったようです。何故でしょう。自信がすっかりなくなってしまったからだと思います。それに芸人の女房が居る限りは、教職につく事はできないでしょう。でも先生は、教授しかできないのです。

 とにもかくにも見所はエミール・ヤニングスの演技でしょうか。映画自体はそんなたいした物でもないんですが(画は良かったですが)、ヤニングスのイカレ演技は見ていて本気で引きますよ。凄い。

 ディートリッヒは脚よりも声が印象的でした。甘ったるい高音で歌う様は、後のハリウッド映画と違って何とも可愛らしい感じ。