「豊洲・晴海・勝どき遊歩」9:勝どきで十返舎一九の墓に出会った! | 今日は何をレポートしようかな?

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 一行は朝潮小橋を渡り朝潮運河を越えました。

黎明大橋の手前に水門が見えます。

黎明大橋

◆建設中の環状2号線の一部となる。

◆隅田川で建設中の築地大橋を築地側から渡った

 あと、勝どき側から晴海側に渡る橋。

◆架橋中であるが橋名は平成26年(2014)9月に

 黎明大橋と決まった。

◆2020年の東京オリンピックの選手村へ通じる橋

 でもある。

◆すぐ西側に朝潮水門がある。

◆平成30年(2018)11月の環状2号線の一部暫定

 開通により使用開始された。

〔参考:サイト「中央区内の橋めぐり」より〕

 

 

 

 

 

 環2通りに沿って北西方向に歩いて清澄通り

入りました。

此処は勝どきになります。

 

 

 

 

 

 

 おや?石碑が見えます。

此処は十返舎一九のお墓ですね。

おおー!実は七郎委員長の懸案リストのひとつ

でした。

説明板があるので読んでみます。

十返舎一九墓

 所在地 中央区勝どき四丁目十二番九号 東陽院

 江戸時代後期の戯作者として知られる十返舎一九

は、本姓を重田といい、明和二年(一七六五)駿河国

(現在の静岡県)に生まれました。

その後、江戸に出て、日本橋の出版業者・蔦屋重三郎

のもとで黄表紙・洒落本を書きました。

中でも『東海道中膝栗毛』はよく知られ、主人公の

弥次郎兵衛と喜多八が日本橋から東海道を旅し、伊勢

参宮の後、京都へたどりつくという旅行記の形式を

とる物語です。

この作品は続編に続編を重ね、一九の代表作となり

ました。

 一九は天保二年(一八三二)に没し、浅草永住町

(現在の台東区元浅草)の東陽院に葬られました。

東陽院は関東大震災後、当地に移転し、墓も移されて

います。

なお墓石には次の辞世が刻んであります。

 此世をば とりやお暇に 線香の

  煙とともに 灰さようなら

一九の墓は、区の歴史や文化に関わりの深いもの

として、中央区民文化財に登録されています。
平成三十年三月

〔中央区教育委員会〕

十返舎一九はずいぶん洒落っ気のある方ですね。

碑の後ろに東陽院があります。

日蓮宗 真圓山 東陽院 

 日蓮宗寺院の東陽院は、真圓山と号します。

東陽院は、浄源院日隆が慶安元年(1648)に善立寺

塔中として創建、関東大震災で被災し、昭和5年

(1930)浅草永住町から当地に移転したといいます。

〔参考:サイト「猫の足あと」より〕

そろそろ終盤、清澄通りをさらに進みます。