「鶴見探検」4:曹洞宗大本山総持寺の境内へ! | 今日は何をレポートしようかな?

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 鶴見線の跨線線路橋の雄姿なかなか好いですね。

正式には鶴見線・東海道本線跨線線路橋と呼ぶん

ですね。

現在の跨線線路橋は、昭和9年に鶴見臨港鉄道

国鉄鶴見駅へ乗り入れを開始したのと同時に架け

替えられた物だそうです。

この辺りに本山駅があったそうですが廃止され、

その翌年(昭和18年)に国鉄に買収され国鉄鶴見

となったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 少し進むと「曹洞宗 大本山総持寺」と書かれ

た木柱が見えてきました。

此処9年半前にレポートしています。

今年は「700回大遠忌」という大イベントが控え

ているようです。

大本山總持寺 開山太祖 瑩山紹瑾禅師

七〇〇回大遠忌

鎌倉時代後期、瑩山さまは、道元さま、歴代の

お祖師さまが連綿と受け継がれてきたお釈迦様

の教えを全国に広める中心的寺院となる諸嶽山

總持寺を開かれました。

「相承」お釈迦さまの教えを受け、行い、継いで

いくことをそう表します。

戦乱・疫病・震災。困難な時代の中、和合の心を

もって多くの人々を救われた瑩山さまのみ教えは、

人種や性別、年齢を問わず、相承され、七〇〇年

経った現在もその相承の輪は国境を越えて広が

り続けています。

混沌とする世をいかに生きるのか。

五〇年に一度の法縁です。

總持寺の門はいつでも開いています。

〔参考:「曹洞宗大本山総持寺 HP」より〕

では広大な境内に進みます。

 

 

 

 

 

 

 緩やかな坂道を上ります。

三松関をくぐり、さらに進みと山門です。

三松関

總持寺の総門。

門前に立って、まず目に飛び込んでくるのが

「三樹松関(さんじゅしょうかん)」と書か

れた扁額(へんがく)です。

總持寺中興(ちゅうこう)の祖といわれる

石川素童(そどう)禅師(1841~1924)が

揮毫(きごう)されたもので、總持寺の祖院

がある能登には、みごとな龍の形をした三本

の松樹があったことに由来しています。

この総門は、禅宗寺院の第一門としては珍し

く、特異な高麗門(こうらいもん)の様式で

建てられています。

山門

總持寺の総門。

総門をくぐり、七堂伽藍の最初に出会うのが

「三門」です。

この三門は、木原崇雲氏が妻の菩提のために

寄進され、昭和四十四年に落成した建物です。

鉄筋コンクリート造りでは、日本一の大きさ

を誇っています。

三門には、左右に金剛力士(仁王)像をおく

のが通例とされており、總持寺の場合も同様

で、左右に元横綱・北の湖関15歳の姿をモデ

ルにしたと伝えられている阿吽の仁王像が納

められています。

三門楼上には、開創時からの因縁によって、

観音・地藏の放光菩薩像と、十六羅漢像およ

び四天王像が祀られ、毎月二日と十六日には

羅漢供養の法要が修行されます。

これらの像は彫刻家・阿部正基氏の作です。 

三門正面の扁額「諸嶽山」は独住19世・岩本

勝俊禅師が書かれたものです。

〔参考:「曹洞宗大本山総持寺 HP」より〕

下校する総持学園の生徒さんでしょうか?

学生さんが下りてきました。