最終回「三田探検」3:武家屋敷の街・綱町! | 今日は何をレポートしようかな?

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何でもレポートします。

 

 

 

 

 綱町三井俱楽部を離れてイタリア大使館

前を通って戻ります。

この辺り、閑静で低層のマンション等が並ぶ

住宅街「綱町」ってどんな場所なのでしょう?

調べてみました。

綱町の歴史

ここは江戸時代には諸藩が屋敷を構えていた

場所であり、綱町三井倶楽部の建物敷地部分

は佐土原藩島津淡路守屋敷跡であり、日本庭

園部分は当時から名園として誉れ高い、会津

藩松平家の広大な下屋敷跡を基礎としている。

倶楽部の日本庭園もこの庭を基礎としている。

 土地取得の経緯は、現存する資料が少なく、

また不明点も多いが、明治11年(1878)から

明治42年(1909)にかけて團琢磨など何人もの

三井財閥関係者の所有を経ながら少しずつ

買い増していったと考えられる。

現在は総敷地面積8千坪。

日々変わりゆく周辺の景観の中で、ここだけは

いまも昔と変わらぬ姿を残している。

〔参考:「綱町三井俱楽部 HP」より〕

三田綱町にあった渋沢邸

渋沢栄一は69歳を迎えた明治42年(1909)

に、それまで深川にあった邸宅を港区の三田

綱町に移しています。

この頃の渋沢は北区の飛鳥山にも自邸を持ち、

主な住居はそちらでしたが、長男・篤二の家族

が住んだ三田の邸宅でも長い時間を過ごしま

した。

渋沢の自著の中には三田綱町の屋敷につい

て、こんな言葉が残っています。

『六時綱町邸二至ル、新築落成、本日目出度

移転セラル、立派二具合ヨク出来、見ハラシ、

日アタリ、風通シ等スベテ宜シキハ勿論、住居

勝手モ余程便利ラシヽ…』

(6時に三田綱町の家に来た。工事が終わり

今日めでたく移ってきた。

立派で具合良く、見晴らし、日当たり、風通し

などすべて良いことはもちろん、住み心地も

便利で良い)

−竜門雑誌 第二五四号(渋沢栄一記念財団

『渋沢栄一伝記資料』第29巻より引用)

三田綱町は麻布十番駅の方面から日向坂を

上がった小高い場所にあります。

深川の邸宅の表座敷を移築した邸宅は、和風

の木造二階建てで、昭和4年(1929)には一

部を取り壊して洋館が増築されました。

今は高層ビルに囲まれた地域も、おそらく渋沢

が暮らした当時は今より周辺の景色が見渡せ

たことでしょう。

この一節は渋沢ができたばかりの三田の家を

大層好んでいたことが伺える記録です。

〔参考:「港区観光協会VISIT MINATO CITY

 HP」より〕

石垣に囲まれたお宅が多いのは武家屋敷

名残りなんですね。

そんなに好い場所だったとは知りませんでした。

また来ようと思います。

NEC本社ビル前に戻りました。

 

 

 

 

 

 

 

 三田から白金高輪のいつもの酒場に移動して

一人打上げです!

春の味覚を楽しみました。

これで「三田探検」レポートを終わります。