「小菅探検」1:東武スカイツリーライン小菅駅で降りて! | 今日は何をレポートしようかな?

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 2月中旬、以前から行ってみたかった葛飾区

小菅に行ってみました。

以前から行きたかった場所でした。

 

 

 

 

 

 横浜からは中目黒まで東横線で行き、そこで

東武動物公園行き東京メトロ日比谷線に乗り

換えて北千住でそのまま東武スカイツリーライン

になりました。

小菅駅に到着しました。

ホームからは荒川が見えます。

対岸には東京スカイツリーが見えます。

 

 

 

 

 さらには東京拘置所が見えますね!?

小菅駅を出ました。

ここで小菅の歴史を紐解いてみましょう。

小菅の歴史

地名の由来

 約360年前の江戸時代の資料に出てくる地名

です。

「菅」とは、「かや」や「ヨシ」のことです。

湿地に育つ植物で、家の屋根の材料などに使

われました。

昔小菅の辺りは古隅田川に面していて、「かや」

や「ヨシ」が多く生えていたことから地名につけ

られたと考えられています。

武蔵国から小菅県、東京府南葛飾郡へ

 1867年に15代将軍の徳川慶喜は、政権を

朝廷に返し(大政奉還)、江戸幕府は終わりを

告げ、翌年、江戸は東京と名前が変わります。

現在の葛飾区もいろいろと名前の変更があり

ました。

小菅県の誕生

 1869(明治2)年に小菅県ができ、葛飾は

小菅県に属することになりました。

小菅県は現在の葛飾区・足立区・江戸川区の

大部分と墨田区・荒川区の一部、千葉県・埼玉

県の一部におよぶ広い範囲で、355町村あり

ました。

県庁は、小菅御殿があった旧代官所内(現在

の小菅1丁目)に建てられました。

東京府南葛飾郡の誕生

 明治政府は藩を廃止して県を置く廃藩置県を

行い、全国に多くの県ができました。

そこで、それまであった県を統合するため、1871

(明治4)年に小菅県が廃止されました。

1878(明治11)年には南葛飾郡ができ、葛飾は

東京府南葛飾郡に属します。

南葛飾郡は現在の葛飾区・江戸川区と足立区・

江東区・墨田区の一部です。

1889(明治22)年には、それまであった町や村の

規模を大きくする見直し(市制町村制)があり、

葛飾にあった多くの町村が水元村・金町村・新宿

町・奥戸村・亀青村・南綾瀬村・立石村(1890〔明治

23〕年に本田村に改称)の7カ町村になりました。

〔参考:サイト「葛飾区史」より〕

今現在はかなりマイナー感が強いです。

 

 

 

 

 

 

 

 小菅駅を出て東側に進みます。

公務員官舎が並んでいます。

東武スカイツリーラインの高架をスペーシア

走っていきました。

スペーシア

スペーシアは、東京と日光・鬼怒川方面をつなぐ

特急用100系車両で、1,100mmのシートピッチで

ゆったり座れます。

日光線・東武日光駅発着の「けごん」と、鬼怒川

線・鬼怒川温泉駅発着の「きぬ」で運行していま

す。

〔参考:「東武鉄道公式サイト」より〕

日光行きたいですね!?