「浅草探検」1:久々の浅草 花川戸公園! | 今日は何をレポートしようかな?

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 先日の「内藤新宿探検」レポート(2024.2.11付)

「沖田総司逝去の地」をレポートしたのは記憶

に新しいところです。

リブログしておきます。

その際、「沖田総司逝去の地 今戸神社説」

知ったので 早速行ってみました。

 

 

 

 

 

 都営浅草線・浅草駅で下車し地上に出ました。

浅草はかなり久しぶりです。

スカイツリーアサヒビール本社ビルが迎えて

くれました。

神谷バーもお久しぶりです。

東武スカイツリーライン・浅草駅のノスタルジック

な建物も久しぶりです。

外国人観光客が多いですねー!

 

 

 

 

 

 江戸通り沿いに花川戸を進みます。

花川戸公園にやってきました。

「姥ヶ池之旧跡」碑があります。

説明板を読んでみます。

東京都指定旧跡 姥ヶ池

昭和14年(1939)12月指定

 姥ヶ池は、昔、隅田川に通じていた大池で、

明治24年(1891)に埋立てられた。

浅草寺の子院妙音院所蔵の石枕にまつわる

伝説に次のようなものがある。

 昔、浅茅ヶ原(あさじがはら)の一軒家で、

娘が連れ込む旅人の頭を石枕で叩き殺す

老婆がおり、ある夜、娘が旅人の身代りに

なって、天井から吊るした大石の下敷にな

って死ぬ。

それを悲しんで悪行を悔やみ、老婆は池に

身を投げて果てたので、里人はこれを

姥ヶ池と呼んだ。

 平成8年(1996)3月8日建設

〔東京都教育委員会〕

怖い伝説ですね!?

 

 

 

 

 その横に助六歌碑があります。

説明板を読んでみましょう。

助六歌碑

所在地 台東区花川戸2-4 (花川戸公園)

碑面には 

助六に ゆかりの雲の 紫を 

阿弥陀の利剣で 鬼は外なり 団洲

の歌を刻む。9世市川団十郎が自作の歌を

揮毫したもので「団洲」は団十郎の雅号である。

 歌碑は、明治12年(1879)9世市川団十郎

が中心となり、日頃世話になっている日本橋

の須永彦兵衛(通称榛彦)という人を顕彰して、

彦兵衛の菩提寺仰願寺(現、清川1-4-6)に

建立した。

大正12年(1923)関東大震災で崩壊し、しば

らくは土中に埋没していたが、後に発見、碑

創建の際に世話役を務めた人物の子息により、

この地に再造立された。

台石に「花川戸鳶平治郎」、碑裏に「昭和33

年(1958)秋再建 鳶花川戸桶田」と刻む。

 歌舞伎18番の1つ「助六」は、2代目市川

団十郎が正徳3年(1713)に初演して以来

代々の団十郎が伝えた。

ちなみに、今日上演されている「助六所縁江戸

桜」は、天保3年(1832)上演の台本である。

助六の実像は不明だが、関東大震災まで浅草

清川にあった易行院(現、足立区伊興町狭間

870)に墓がある。

 平成11年(1999)3月 

〔台東区教育委員会〕

 

 

 

 

 

 

 花川戸公園を後にして、さらに進みます。

住宅街の細い道に入りました。

大仏像のあるお寺を見つけました。

浄土宗 光照山 九品寺

浄土宗寺院の九品寺は、光照山と号します。

九品寺の創建年代等は不詳ながら寛永6年

に増上寺十七世照誉上人の弟子弁蓮社天誉

上人竜露吟徹和尚が中興・開山したといいます。

明暦3年(1657)の大火でなくなった人々の

菩提を弔うため万治3年(1660)に造立された

九品寺大仏、および沓履地蔵尊があります。

〔参考:サイト「猫の足あと」より〕

花川戸保育園が併設されていました。