最終回「鎌倉探検」5:長谷“皿のうえ”さんで日本酒と海の幸♪ | 今日は何をレポートしようかな?

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 高徳院を出て海の方に出てみました。

おや?史跡碑がありますよ!「稲瀬川」と書

かれています。

稲瀬川(いなのせかわ)

碑文

万葉に鎌倉の美奈能瀬河とあるは此の河な

り治承四 年(1180)十月政子鎌倉に入らんとし

て来り日並の都合により数日の間此の河辺

の民家に逗留せる事あり 頼朝が 元暦九年

(正しくは元暦元 年:1184)範頼の出陣を見送

りたるも正治元年(正しくは文治元年:1185)

義朝の遺骨を出迎へたるも共に此の川辺なり

元弘三年(1333)新田義貞 が当手の大将大舘

宗氏の此の川辺に於て討死せるも人の知る所

細き流にも之に結ばる 物語少なからざるなり

説明

万葉集の中に、「鎌倉の美奈能瀬(みなのせ)

河」と書いてあるのはこの川のことです。

源頼朝の妻の政子が、1180年10月の初めて

の鎌倉入りの時、良い日柄(ひがら)に入るた

めの調整で、数日の間この川辺の民家に滞

在しております。

また頼朝は、1184年に弟の源範頼(のりより)

が平家を討つために出発するのを見送ったり、

1185年に亡き父源義 朝(よしとも)の遺骨を出

迎へたのも共にこの川辺です。

1333年に新田義貞(にったよしさだ)軍の大将

大舘宗氏(おおだち (又は おおたち)むねうじ)

が、この川辺にて討死したのは有名です。

この川の流れは細くとも、多くの物語が秘め

られています。

〔参考:「e-ざ鎌倉・ITタウン」より〕

戻ると、途中長谷うみねこ公園がありました。

この傍に寄棟造り 和のお屋敷がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 さあそそろそろ開店の時間です。

美味しいお魚のお店「皿のうえ」さんに入りま

した。

先ずはハートランドビールとお通しで乾杯!

そしてあん肝♪

日本酒に移行しまして酔鯨の純米吟醸吟麗

キレが良い!

続いてキンキのお吸い物に刈穂 山廃純米

超辛口を合わせます。

 

 

 

 

 

 黙々と造る大将の魚料理が美味しい♪

お隣の女性と女将さんとの会話が面白くて

このあたりから酔いがまわり、記憶が曖昧に

なってきました。

今度は福井の九頭龍、続いて長野のにご

り酒神渡(みわたり)、季節限定のお酒で

すね。

そして黒澤 生酛純米80、これも長野

お酒、少し濁っています。

いやぁ・・・かなり酔ってしまいました。

ようやくここでお暇します!

美味しかったー♪また来ます。