「沖縄探検2日目」4:円鑑池を廻ると第32軍司令部壕! | 今日は何をレポートしようかな?

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 天女橋を渡って弁財天堂まで行ってみ

ました。

美しい風景です。

草蔭にも白いバリケンを見つけました。

 

 

 

 

 

 円鑑池をぐるっと廻ると碑がありました。

説明板があります。

重修天女橋碑記

(ジュウシュウテンニョバシヒキ)

 「重修天女橋碑記」は、円鑑池(えんか

んち)の中島にある弁財天堂(べざいて

んどう)に架けられた天女橋を1744年

(乾隆9)に改修した記念に建立された

石碑が、後に倒壊したため、1798年

(嘉慶3)に新たに建てられたものである。

このため同碑は、乾隆9年の碑文内容

をそのまま取り込んだ上で嘉慶3年の

建碑情報を新たに追加した石碑となっ

ている。

 碑文には乾隆9年の文面に続けて嘉

慶3年の記事が刻まれており、表文が

弁財天堂および天女橋の来歴、裏文が

天女橋の改修及び石碑建立の経費、

さらに嘉慶3年の新碑建立の経費等と

なっている。

 石碑は、1945年(昭和20)の沖縄戦で

破壊されたが、碑の一部が沖縄県立博

物館に残されている。

本碑は碑の一部や拓本・写真等をもとに

復元したものである。

〔参考:「那覇市歴史博物館 HP」より〕

首里杜館方向に進みます。

 

 

 

 

 少し上ると第32軍司令部壕がありまし

た。

説明板もあります。

第32軍司令部壕

園比屋武御嶽の後方ハンタン山の緑地

の中に、崩れたコンクリートの建造物が

散在しています。

このあたりは、昭和20年の太平洋戦争

で日本陸軍の沖縄守備軍(第32軍)司

令部があったところです。

1944年 日本軍はこのハンタン山から

首里城の地下一帯に防空壕を掘り、

司令部をおきました。

これらコンクリートの壁は壕の入口を守

るトーチカの跡です。

軍司令部が首里城の地下にあったこと

から、首里城は米軍の空爆砲撃によって

壊滅状態になりました。

1945年 日本軍は宜野湾・浦添方面での

戦いに敗れたあと、この壕を捨て首里を

撤退し、南風原・糸満の摩文仁へと敗走

して行くのです。

〔参考:サイト「首里 史跡リスト」より〕

今は入ることができません。

石段をさらに上ります。