僕はビヨン・ボルグが好きだった! | 今日は何をレポートしようかな?

今日は何をレポートしようかな?

身の周りの物の掘り下げ、都会を訪ねて、歴史を訪ねて、小説・
映画・TVドラマの舞台を訪ねて、レトロを探して
何でもレポートします。

 大坂なおみ選手の全米オープン制覇

のニュースは大いに興奮するところでは

ありますが、生で試合状況を観ていなか

った七郎委員長。

試合後のスピーチの様子やセレーナ・

ウィリアムス選手に掛かる試合中トラブ

ルの様子が徐々に明らかになっていく

につれて、何とも後味が良くない気分に

襲われました。

そんな試合中、一度も集中を切らすこと

なく冷静に戦い続けた大坂選手はチャン

ピョンを勝ち取るに相応しかったといえま

しょう。

 

 

 映画『ボルグ/マッケンロー 氷の男と

炎の男』に登場したマッケンローは悪童と

呼ばれ、試合中度々主審に毒つくシーン

が見られましたが、彼だけは怒りで集中

が切れる通常の選手ではなく、怒ることで

集中を高めていく稀有なタイプの天才と

いえると思いました。

実はボルグも少年の頃はキレやすく、数

か月出場停止を受けたこともあるほど。

しかしボルグの天性を見抜いていたベル

ゲリンコーチは、「一球に集中しろ!」と

丹念に諭していきます。

ある時からボルグは「一切キレない」と約

束し、実践していき世界を勝ち取り続けま

す。

 ボルグは七郎委員長と同い年。

この世紀の一戦があった1980年は大学

生で就職を決めていた時期でした。

ここまで世界の男子テニス界はジミー・

コナーズからビヨン・ボルグに世代交代

が始まっていきました。

ご多分に漏れず七郎委員長は、すっか

ボルグファンになっていました。

ボルグが着るフィラのウエアやドネイ

木製ラケットには手が届かなかったもの

の、長髪にヘアバンド、リストバンド、縦

縞のウエアを身に着けて、ヤマハのデカ

ラケを購入。

もちろんバックハンドは両手打ち!

頻繁に友人や当時お付き合いしていた

今の家人を誘って代々木公園に行き

テニスに興じたものです。

ガットは強めに張って(ボルグは80ポン

ド)、球を下からこすり上げてボルグ

代名詞であるトップスピンにトライするも

のの全くスピンがかからず(笑)

過日結婚後、二人で毎週日曜テニス教

室に通った際、それまで自分でも上手い

と思っていたテニス技術が根底から覆え

されたのは言うまでもありません。

 ボルグとコナーズの二強時代がしばら

く続く中に、突然マッケンローが登場しま

す。

チリチリ頭にヘアバンド、サウスポーで

緩々のガット(一説には45ポンド)、プレ

イスタイルは、コナーズのような典型的

サーブ&ボレータイプ。

他の選手と違っていたのは、強く球を打

つのではなく、ラケットを球にタッチさせ

るのみ。

ボルグとは対極のプレイスタイルでした。

こんなマッケンローも魅力的で、セルジ

オタッキーニのウエアも似合っていまし

た。

そんなボルグとマッケンローの世紀の戦

いが1980年。

七郎委員長はTVにかじりついて観てい

たものです。

いかにして上り坂のマッケンローを下す

のか?そしてついに振り切ります。

TVの前で七郎委員長、滂沱の涙を流し

ていました。

此処までのボルグがいかに精神を追い

詰めてきたのか?映画で描かれますが、

ラケットのガットと同様に張り詰めていた

精神はもたなくなったのか、翌年の決勝

ではあっけなくマッケンローに敗れ、しば

らくしてラケットを置く。

思い起こせば女子でも、クリス・エバート

選手を引き釣りおろして女王としてしば

らく君臨したマルチナ・ナブラチロワ選手

が、急成長してきたシュテフィ・グラフ

メジャー大会の決勝戦で相まみえ、髪を

振り乱しながら女王の座を死守したシー

ンも感動的でした。

女子テニス界ではこの後しばらくグラフ

代に代わります。

現在のテニス界、特に女子は絶対王者

が不在の時期ですが、大坂なおみ選手

がそれにとって代われば良いし、その

可能性は大きい!そう思う次第です。

 

 

 

 最後の写真は最近のボルグ、そして

マッケンローとボルグの2ショットです。