目黒不動尊を出るとすぐに「だるま」という和菓
子屋さんが在りました。かなり繁盛しています。
やはり寺社の近傍には和菓子屋さんや蕎麦屋
さんが定番のように存在しています。
さらに鰻屋さんやお惣菜屋さんや食品店です。
ここから山手通りにぶつかるまでが昭和44年か
らスタートした目黒不動商店街だそう、未だ昭和
の香りが残っています。
安養院というお寺が在りました。奥行きのある
立派な寺院です。
安養院
所在は品川区ですが、山門は目黒側にあります。
慈覚大師が開山しました。
中興開山、唱岳長音木食上人が寛永元年(162
4)に再建し、自ら彫刻した阿弥陀如来座像を安
置して千日の不断念仏行に励まれました。さらに
上人は自作の一尺六寸の寝釈迦(涅槃像)を安
置して供養されました。
檀祖は義士で有名な赤穂浅野家の絶大なる外護
者となり「江戸名所図絵」には荘厳広大な昔の姿
が偲ばれます。
境内には栃木市、定願寺より戦後観音堂の一宇
を寄進され、約三百五十年を経過しているものと
伝えられております。
また、石造文化財も多く、ガンダーラ文化、美術も
多く美術館としても有名です。
〔参考:「目黒不動商店街 HP」より〕
間もなく広い山手通りに出ました。
目黒通り方向へ歩くと五百羅漢寺に関係する
松雲羅漢像が在りました。碑も在ります。
松雲(しょううん)羅漢
天恩山五百羅漢寺の開基松雲禅師は、元禄年
中、5代将軍綱吉公の生母桂昌院をはじめ江戸
中の人びとから寄せられた浄財をもとに536体
の羅漢像を彫刻し、本所五ッ目に五百羅漢寺を
築いた傑僧である。
明治42年、下目黒に移転してきたのち寺は荒
廃の一途を辿っていたが、多くのかたがたのご
協力により、昭和56年、由緒もある五百羅漢寺
を再建することができた。
この再興を記念し、彫刻家佐山道知氏に制作
依頼して松雲禅師像を建立し、これを松雲羅漢
と名づけて禅師の徳を讃えるものである。
昭和61年2月吉日
天恩山五百羅漢寺
〔碑文より〕
だから新しいんですね!?
山手通りを渡り、進むと反対側に「大久保だん
ご」さんを見つけました。
白金で見つけた「大久保だんご」さんと同じく読み
にくい平仮名ですから、目黒は支店ですね!?
さらに進むと大きな神社が見えました。
ここは大鳥神社のようです。
大鳥神社
大鳥神社は、目黒区下目黒にある神社です。
大鳥神社は、大同元年(806)創建された区内最古
の神社だといい、古江戸9社の一社に数えられ、
目黒村の総鎮守社となっていたといいます。
〔参考:サイト「猫のあしあと」より〕
神社に向かおうか?と思いましたが、先を急ぎた
いし、こちら側には寄生虫博物館も在るらしいの
で次回ゆっくり探検することにしました。
目黒通りにぶつかったので、目黒駅方向に進み
ます。
すると大鳥前商店街が在りました。
大鳥前商店街
昭和初期に目黒新橋から大鳥神社までの商店が
大鳥前商栄会を結成して、縁日、お祭り等の行事
に協力し、目黒で有力な商店会となりました。
その後満州事変、支那事変、太平洋戦争により
徴兵や召集で働き手が少なくなり、物資の欠乏も
加わって商店会の活気も無くなってしまいました。
昭和20年8月15日に長かった戦争が終り、戦後
の復興が始まり、元々店の無かった権之助坂に
出現した露天街とともに復興の第一歩を踏みはじ
めました。間もなく商栄会も復興したのですが、他
の飲食店を中心とした商店街と比べると商店会と
しての復興に立ち遅れた感がありました。
しかし大型小売り店の進出、終夜営業のコンビニ
ストアの続出や後継者不足などで、どこの商店街
もシャッター店舗が多くなり商店街の存続すら危
ぶまれている現在、大鳥前商栄会は昔ほどの活
気はなくとも、空き店舗もほとんど無く平穏に存続
してきました。
〔参考:「目黒区商店街連合会 HP」より〕
今も昭和の雰囲気が残っています。