



なお隅田公園と隅田川沿いを進むと言問橋があり
ました。
これら隅田川に架かる橋、昨年今頃の隅田川クル
ーズで楽しみました。また今年初めの「向島探検」
で対岸から見ています。
言問橋の手前は五差路になっています。
言問橋
言問橋(ことといばし)』は、台東区花川戸と墨田
区向島の間で「水戸街道」(言問通り)が「隅田川」
を渡る橋である。
橋の創架は昭和3年(1928)、震災復興計画に
よる復興橋梁として新規に架設された。
橋名の由来
最も有力なのが、「伊勢物語」にある「在原業平」の
詠んだ
「名にし負わば いざ言問はん都鳥 わが思ふ人は
ありやなしやと」
の古歌に由来しているという説である。
この「言問」とは「ものを言い交わす」の意味だそうだ。
〔参考:サイト「東京探訪」より〕
ここ花川戸付近にもレトロな建物や寺院が在りました。
そしてまたスカイツリーです。アサヒビール本社ビル
も見えます。




東武浅草駅に来ました。
こうして改めて見ると、なかなかノスタルジックな
建物です。
今度は吾妻橋です。有名なアサヒビールのオブジェ
も見えます。ここはいつも賑わっていますね。
アサヒビール本社ビルとオブジェ
琥珀色のガラスと頭頂部の白い外壁で、泡のあふ
れるビールジョッキをイメージしています。
隣接する「スーパードライホール」は、フランスの著
名なデザイナー、フィリップ・スタルク氏によるもので、
屋上の「炎のオブジェ」は、躍進するアサヒビールの
心の象徴です。
〔参考:「アサヒビール ホームページ」より〕
吾妻橋
『吾妻橋』は、台東区雷門と墨田区吾妻橋の間で、
浅草雷門の前を走る「雷門通り」が「隅田川」を渡る
橋である。
この橋の創架は安永 3年(1774)、江戸時代に架設
された隅田川の橋としては第五番目の橋で、江戸期
に架橋された最後の橋でもあった。
安永 3年(1774)の『吾妻橋』架橋以後は、明治7年
(1874)の『厩橋』架橋までの100年間、「隅田川」に
は新たな橋は架けられなかったことになる。
橋名の由来
『吾妻橋』 の名称の由来は諸説ある。
架設当初は『大川橋』が正式な橋名であったらしいが、
左岸(向島方面)にある「吾嬬神社」への道筋にあたる
ことから、『吾嬬橋』とも呼ばれており、これが『吾妻橋』
に転じたという。
また一説には、幕府押し付けの『大川橋』の名称に反発
した付近の町民が、江戸の東に位置するこの橋を『東
(あずま)橋』と呼んでいたからとも伝えられている。
明治9年(1876)の架け替えの時に、正式に『吾妻橋』
と命名された。
〔参考:サイト「東京探訪」より〕
反対側には神谷バーのビルが見えました。
ここもいつかは制覇したい!
そして隅田川の側、駒形橋の手前に「浅草むぎ
とろ本店」のビルです。





そして朱色の眩しいお堂、駒形堂が在りました。
石塔やいくつかの説明板が立っています。
駒形堂
天慶5年(942)平公雅が堂塔伽藍を建立の際、
駒形堂も建立され、以来再三の炎上に遭いながら
もよみがえり、今日に至っている。現在の堂宇は
平成15年(2003)11月に建立されたもの。
『浅草寺縁起』によると、推古天皇36年(628)3月
18日の早朝、檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成
(たけなり)の兄弟が江戸浦(現隅田川)にて漁撈中、
1躰の仏像を感得した。郷司土師中知(はじのなかとも)
はこれを拝して、聖観世音菩薩さまのご尊像と知り、
自ら出家、屋敷を寺に改めて深く帰依したと伝えられる。
駒形堂は、観音さまが上陸された、浅草寺の草創
ゆかりの地に建つお堂で、本尊は馬頭観世音菩薩。
別名「こまんどう」とも呼ばれる。毎月19日にお開扉
され、参拝できる。午前10時より法楽があり、4月
19日は大祭。
はじめは川に面して東向きに建てられたが、たび
たび焼失の憂き目にあった。寛保2年(1742)の
再建から、川を背にして西向きに建てられるように
なった。
〔参考:「あさくさ観音 浅草寺ホームページ」より〕
平日でも賑わうこの町で、駒形堂だけがひっそりと
していました。