十字架をわが身に | 救魂録

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カルトや発達障害や自己啓発など潜り抜けてきたカトリック信徒のブログです。

十字架をいまいちど・・・

 

あのイエスの架けられた痛々しい十字架を、私のもとに据えたい。

 

あれは、拝むものではない。

 

あれは、私のところにやってくるものだ。

 

イエスは、私と共に苦しんでおられるのだ。

 

 

ご聖体は・・・

イエスの血と肉は、私に食べられるためにささげられたのだ。

 

 

私は、恵みと癒しだけを求めていた。

 

奇跡を求めていた。

 

されど、愛は恵みや奇跡や癒しよりも至上のものだった。

 

 

イエスは私を愛したいのだ。

 

私の罪も醜さも含めて、なお一層愛したいのだ。

 

彼は一層私に迫ってくる。

 

 

イエスがわたしのために共に苦しんでくださっただけでは足らぬ。

 

私たちも、小さな十字架を背負おう。

 

苦しみ、絶望、孤独、自己嫌悪・・・

 

そうしたものが、誰の心にも人生もある。

 

 

しかし、そのことは、自らの十字架を担い、神にささげることによって、

愛のうちにからめとられる。

 

私は、誰かへの愛のために、救いのために、

十字架を担う。

 

 

 

主にあって、私はとこしえに感謝しよう、

主にあって、私は大いに喜ぼう、

顔を天に向けよう

おそれないで。

 

声を高く上げよう

神はそばにおられる