地獄について。 | 救魂録

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カルトや発達障害や自己啓発など潜り抜けてきたカトリック信徒のブログです。

 

 

 

地獄に行ってみたら、大きく貼紙がしてあってね、

「当地獄は、西暦33年、イエス・キリストの十字架と復活をもって閉鎖されました。収容者も全員すでに解放されています。ご質問のある方はイエス・キリストに直接ご連絡ください」。

 

 

 

そう語るのは、晴佐久神父さま。

 

 

あまりにも素晴らしいので、今回は、そのまま記事をコピペします。

 

 

 

私たち、振り返ったら、
。神さまがそう言ってるんですよ、ありがたいですね。(※6)っていう一節がある(イザヤ43:18)に、「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな」(※5)第1朗読

 

 

惨憺たる記憶があるわけでしょ。「それをぜんぶ思い出したら、もう到底、夜眠れない」っていうような、「もし、それが罪に定められるんだったら、決して天国なんか行けやしません」っていうような。・・・でも、その「初めからのこと」を、「思い出すな」って言ってくださる。「昔のことを思いめぐらすな」って言っていただける。
 そして、神はこう言う。「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか」 (イザヤ43:19/強調引用者) と。・・・神さまが、すべてを

 

清めてくださる。

すべてをゆるして、癒やして、受け止めて、「新しいこと」を始めてくださる。これには、励まされますね。

 こういう神さまの徹底した愛、「わたしはあなたを罪に定めない」(cf.ヨハネ8:11)という宣言によって、私たちは生きていけるわけですね。それがなかったら、生きてこれなかったし、生きていけないし、誰一人天国になんか行けやしない。でも、神さまは、今日も、「わたしはあなたを罪に定めない」って言ってくださる。
 私たち、この言葉を聴くべきだし、聴かない人たちにも聴かせるべきだし、 まあ、「神さまが、『あなたを罪に定めない』って言ってますよ」って言うだけじゃなくて、私たちもね、神さまと一緒に、「私もあなたを罪に定めませんよ」って、そうお互いに言い合うような。・・・もう、それこそ、ほとんど神の国でしょうね。

ゆるす しかし、「そんなあなたを
(※8)たら、到底生きていけない人なんですよね。彼は、キリスト教徒を捕まえて殺しておりました (cf.イザヤ43:18) って言ってますけど、パウロはもう、「昔のことを思いめぐらし」 (フィリピ3:8) パウロが、「主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています」 では、(※7) 第2朗読

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」と言ってくださった「キリスト・イエスを知って、そのすばらしさに、今では他のことはすべて損失だと思ってる」。・・・これ、私たちの信仰の基本でしょ。
 私も含めみんな、ゆるしてもらってるんですよ、イエスさまに。だから、この「イエスを知ること」とは、「イエスのゆるしを知って信じること」ですし、それ以外の他のことは、大したものじゃない。
 パウロ、最後に言ってましたね。13節、
 「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、目標を目指してひたすら走ること」(cf.フィリピ3:13-14)
 もう、後ろを向く必要がない。なかなか忘れることはできませんけれども、「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けよう」と。そうでなければ、パウロは生きてこられなかったし、パウロの意味もなくなっちゃう。もう、イエスと一つになり、前のもの、すなわち神の新しいみ業を、精いっぱい生きていく。「神の国」という「目標を目指して、ひたすら走る」。もうそれが、既に始まっていることを、パウロは宣言して回りました。

おきてと言われて、ホントにうれしかったでしょうし、「もう罪を犯すまい」って、きっと思ったことでしょう。ただの (ヨハネ8:11)  この女性、「わたしもあなたを罪に定めない」

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や脅しだったら、なかなか、そう思えないことも、ぜんぶゆるしてもらうと、「それじゃあ、新しい人生を生き始めよう」って思うものです。
 ・・・でも、人間は弱い。また、同じことを繰り返してしまうかもしれない。
 また同じことを、この女性がしたとして、また引きずり出されてきて、「今度はどうだ!」って、ファリサイ派に、律法学者に言われたら、イエスは何て答えるでしょう。
 ・・・決まってますよね、彼が言うことは。前のときよりも、いっそう優しいまなざしで、前のときよりも、 いっそう温かい声で、
 「それでも、わたしはあなたを罪に定めない」
 そう言うに決まってますよね。そう言わなかったら、もはや、イエスではない。救い主ではない。
 先週の放蕩

ほうとう

 

 

息子のたとえ(※9)で言えば、あの放蕩息子、たぶん半年後に、また出て行きますよ。(笑) そしてまた帰って来たら、あの父親、以前にも増して強く抱き締めて、以前よりもさらに豪華な宴会を開くんじゃないですか?

  そのような忍耐、そのような、まったく無条件な愛によってのみ、私たちは生きてくことができる。

そうでなければ、全員、地獄行きですよ。

 

 

 

 

 

 「だから、あなたは必ず救われる」
 「神さまは、最終的には、すべてをゆるします」
 ・・・あり得ない。・・・100パーセント、あり得ない。
 この世の誰が、この神の完全なるゆるしなしに、生きていくことができるか。
」です。

 


 私は、そう宣言し続けてまいりましたし、まあ、いろんな神学、いろんな疑問、いろんな解釈、・・・まあ、いろんなことを言う人がおられますけれども、私はこれからも、目の前に現れる罪びとに、・・・まあ、全員がそうですけどね、 「それでも、あなたは必ずゆるされる」「あなたは必ず救われる」と、宣言し続けていきたいと思っております。

 

 

ポプラ新書っていうところから出ました。「キリスト教のリアル」っていう意味は、日本人はあまりよくキリスト教の現実を知らないので、「リアル」なキリスト教はどんなものか、日本のキリスト教、キリスト教会は、どんなものかってことを、まあ、何ていうんでしょう、・・・いわゆる「ぶっちゃけ」で書こうっていう趣旨で、帯には、「知られざる 牧師・神父の謎」とかって、(笑)書いてある。(※10) 先々週、一冊の新書が出版されまして、『キリスト教のリアル』っていうタイトルの新書です


 ・・・ただ、その対談の一番最後のところで、司会役の人が、「『神さまを信じないと、天国には行けない』と、そう教えている牧師や神父もいますよね?」って言って、私の顔を見たんですね。・・・明らかに、「それに関して発言したいんじゃないですか」っていうような感じで。もちろんそれは、多くの日本人の疑問でもあります。「神を信じない人」や「他宗教の信者」はどうなるのか。「だれが天国に行けるのか、行けないのか」。「うちの死んだおじいちゃん、どこにいるのか」、・・・それはまあ、気になる所でもありますから、まあ、そういうことについて、どう考えてるのか、みたいな質問です。
 その中身の後半は、3人の牧師と1人の神父が、わいわいとまあ、好き勝手なことをしゃべっていて、その「1人の神父」っていうのは私なんですけど、4人でしゃべり散らかしている。・・・で、私、いい機会だからと思って、いろいろ語ったんですよ、・・・私なりの福音をね。だけど、その箇所はなぜかカットされてるんです。(笑)

 

 

・・・あなたは、必ず救われる。『それがホントかどうかは、死ねば分かりますよ』と、そうも言ってきた。そして、やがて天国に行って皆さんに会って、『ほ〜らね、やっぱりみんな来たでしょ♪』と、そう言いますよ」と。
 これは私の、ホントの楽しみです。全能の神が、すべての人をゆるし、すべての人を受け入れてくださるその日を待ち望みます。生きてる間にそのことを知って信じることが、私たちにとってのこの世での救いであり、新しい人生の始まりであり、神の国への道なんです。

 ・・・これはやっぱり真実でしょう。

すべての人が知るべきですし、「イエスさまがさばく」っていうんであれば、それは「すべての人をゆるす」という、そういう「神の愛の裁き」以外にあり得ない。

 「イエスさまの厳しい裁きによって、自分は救われないかもしれない」って思うとしたら、それを、日本語では「恐れ」っていうんであって、「信仰」とは呼ばない。・・・「自分を厳しく裁く方を信じる」、これ、語義矛盾という。「『私は救われる』と信じる」というのを、「信じる」というのです。「『イエスさまは必ず救ってくださる』と信じる」というのが、「信仰」です。
 その人が、たとえどのような人であろうとも。・・・ならば、目の前にいるこの人も、救われる。これ、当たり前のことです。だから、私は、はっきり言う、「あなたは必ず救われる」と。
 ・・・そこは載っていたからね、ちょっとうれしかった。(笑)

 一人の牧師が、それに加えて、面白いことを言ったんですよ。
 「ルターの言葉に大好きな言葉がある。『もし、私が地獄に送られるなら、喜んで行きます。なぜなら、そこにもキリストはおられるからです』」と。
 ルターがそう言ったんですって。・・・なんか、ルター、いいやつじゃないですか。(笑) 好きになりましたよ、このひと言で。

 で、私、「そう言えば、マザー・テレサも似たようなことを言ってましたよ」って応えてるんですね。
 マザーはこう言った。
 「私が聖人になるならば、暗闇の聖人でしょう。なぜなら、天国を留守にして、闇の中に光を灯して歩くに違いないから」
 ・・・いいですねえ。・・・「天国を留守にして」。だからもう、地獄の底にまで、キリストの光を灯しに行く。
 「ああ、いい言葉ですねえ」って、その司会役の人が言うんで、私がこう言ったんですね。
 
「そうして、みんな地獄に一緒にいるなら、地獄も天国になっちゃうんじゃないですか?」
 ・・・って、こんな1行で、この本、終わってんですよ。(笑) この、最後の5行でいいです、この本読むの。(大笑)
 地獄も天国になっちゃうんじゃないですか? そこにはルターもいて、マザー・テレサもいて、・・・キリストもおられるなら。

 洗礼式ってね、すべての罪がゆるされる式なんですよ。それはまさに、イエスさまと一つになること。神さまの救いの業に
 ・・・あなたは、必ず救われます。
 (cf.ヨハネ8:11) 「わたしはあなたを罪に定めない」とイエスさまが言ってくださるから。
 神は愛だから。
 神は全能だから。
 「あなたは必ず救われます」
 「あなたは必ず救われる」っていう宣言を、特に洗礼志願者の皆さんには、私、はっきり宣言してまいりました。昨日の入門講座でも、「晴佐久神父の話は断言だから好きだ」って言ってくださった方がいましたけど、もう、断言の二乗くらい断言したい。

 

 そうして、洗礼式の翌日に、また、皆さん、罪を犯すのです。(笑) そして、次の日曜日の、再洗礼とも呼ぶべきミサで、また、福音を聞く。
 「あなたは必ず救われる」
 「わたしはあなたを罪に定めない」