20日の記事、「『ありがとう』について考えた」の、なな&ひなママさんからのコ
メントについて考えてみました。
またまた「置かれた場所で咲きなさい」からの抜粋です。
以下、抜粋
三十代の後半で四年制大学の学長に任命された私は、教職員や学生から、
あいさつをされるのが当たり前と考え、そうしない相手に、「いきどおり」を感じる傲慢な人間でした。
その私が、ある日「ほほえみ」という詩に出合って変わったのです。
その詩の内容は、自分が期待したほほえみがもらえなかった時、不愉快になってはいけない。
むしろ、あなたの方から相手にほほえみかけなさい。ほほえむことのできない相手こそ、あなたからのそれを、本当に必要としている人なのだから、といものでした。
最初、「そんな不合理な」と思った私はやがて、これこそキリストが求める「自分がされて嬉しいことを、他人にしなさい」という愛の教えだと気付いて、実行したのです。
ところが、私からの微笑みを無視する人たちがいました。
そんな相手に「いきどおらず、美しい私であるために」、私はこう考えることにしたのです。
「今の私のほほえみは、神様のポケットに入ったのだ」と。
そう考えて、心の中でニッコリ笑うことができるようになりました。
美しい私であるために、むしろ、ありがたくさえ思えるようになったのです。
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赤字と太字は私が手を加えたものです。
シスターが出合った詩はこちら。
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ほほえみ 八木重吉
いきどおりながらも
うつくしいわたしであろうよ
哭きながら 哭きながら (*なきながら)
うつくしいわたしであろうよ
「置かれた場所で咲きなさい」 渡辺和子著 幻冬舎 より抜粋