いつの間にかブログ13周年と、あれからどうした井戸の手下 | El Despacho Desordenado ~散らかった事務室より~

El Despacho Desordenado ~散らかった事務室より~

2015年1月4日から「Diario de Libros」より改名しました。
メインは本の紹介、あとその他諸々というごっちゃな内容です。
2016年4月13日にタイトル訂正。事務机じゃなくて「事務室」です(泣)。

こんにちは。いつの間にかブログ13周年を迎えました、エドゥアルド・ルイスです。ここまで続けられているのも皆様のおかげです。ここに感謝いたします。

とはいえ年のせいか不摂生がたたったせいなのか疲れやすくなっているのも事実。なんだかんだネット上のホームであるアメブロを続けるためにも細く長くを堅持していきます。

 

ところで最近ちょっとしたニュースになっているのが斎藤元彦・兵庫県知事のパワハラ疑惑。それでふと気になって井戸敏三の手下だった男はあれからどうしたと軽くネット検索したら、トンデモないことになっていました。学校法人「摺河学園」の特別顧問という、兵庫県副知事よりなおふさわしくない地位についていたのです。それも県民にNOを突きつけられたその年に。今まで知らなかったことに恥じ入りました。これでは火災報知器が鳴っても避難しない人を笑えません。

 

斎藤知事への評価については、東大閥で信用できない部分もあるので肩を持ったりはしませんが、「関東で震災が起これば関西にとってチャンスだと言い放ち、大阪のマスク会食の向こうを張ってうちわ会食を思いつきそのためのうちわ32万本を配ろうとした人間の手下をやっていた男」の評価は無能・有害の一言で十分です。こういう人間を見放す程度には自民党なる集票マシーンに正常な部分が残っており(同時にこの男を推した連中が吹き溜まり、隙あらばより頭の軽い奴にすげ替えようと狙っているのも自民党)、こういう人間を知事にしない程度の知性と理性があることを兵庫県民は示しました(東日本大震災、熊本地震の後となっては遅すぎた感がありますが)。

しかるに当人は自分に下された判断の理由に考えが回らなかったのでしょう。己を恥じる心があれば学校法人の特別顧問の椅子に座ろうなどと頼み込まれてもしません。オファーする方も大概ですが、受け入れたことにこの人間の傲岸不遜と自省の無さが表れています。

問題なのは、この「関東で震災が起これば関西にとってチャンスだと言い放ち、大阪のマスク会食の向こうを張ってうちわ会食を思いつきそのためのうちわ32万本を配ろうとした人間の手下をやっていた男」が、当該学園の生徒の知的水準を脅かし続けていることです。先に挙げた記事によると「海外の学校との提携交渉などを担当する」とのことですが、プーチンやルカシェンコに尻尾を振るのが関の山でしょう。ポーランドの安全保障に危害が及ぶ可能性があります。いま現在もプーチー・プーによる戦争拡大の危険があるヨーロッパでそれをさらに増やしかねない危険人物、それが金沢和夫です。

 

皆が関心を持っていた深刻な危険がまだ去っていないというのに、ちょっと日が過ぎると数日前の私も含め誰もが注意を払わなくなってしまう。これは昔からそうなのですが、情報がかつてなく活発にやり取りされているインターネットでこの状態が改善しないのは問題です。こうなると人間の側に原因があるといえます。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」、「人の噂も七十五日」と昔から言いますが、扱ってきた話題がどれほど重要だろうと新しい話題にさっと乗り換えるある種のポイ捨て思考は、実のところ悪人に都合の良いようにできています。続報を打っても大した反応が返って来ないならマスコミもネット人士もうっちゃります。こればかりは井戸敏三や金沢和夫や久元喜造の問題ではなく、私たちの問題です。

 

こうした流れに抗する道具の一つが本であり読書ではないでしょうか。本は本質的に、過去です。一度出版されればその瞬間から(自身の性質でなく周りの時の流れにより)風化するからです。それに改めて触れてから続報や現況をみることで、“あれからどうした”を探れます。

そういえば久元喜造が初当選した際に対立候補の樫野孝人氏に対してネット人士が批判したのは、公共図書館をツタヤ化する勢力とのつながりでした。地域の知の拠点たる図書館が本を家のアクセとしか見ない書店と手を組んだ市長とその取り巻きにより外見がおしゃれになった裏で、貴重な郷土資料が廃棄される有様を見れば当然噴きあがる批判です。こうしたそれ自体は立派な批判も追い風に、久元喜造はそのキャリア最大の危機を乗り越え神戸市長の座を手に入れました。あれからどうした? 子どもの手が届かない所で絵本を日あぶりにする図書館が公費で建ちました。本のため、知のためと声を荒げていたネット人士は今どこにいるのでしょうか? この問いは前にも書いたはずです。一体いつまでマスコミと同レベルの無責任状態に浸かっていれば気が済むのでしょうか?

 

振り返りの無い人間にまともな判断はできません。何の締まりもないまま今日を迎えてしまった私も大概なだけに危機感が募ります。こういった無責任な言動が許されないのは人間が石に字を彫る前からのことのはずです。井戸敏三の穏便な引退を許し、金沢和夫の社会的高位への渡りを許し、久元喜造の増長を許すのは人間の退化です。こうした退化の表れがプーチー・プーの独りよがりな隣国侵略であり靴皿男の(肝心のハマスのリーダーに一向に当たらない)メクラ虐殺かと思うと頭が痛いです。

 

こうした流れに抗するためにもこのブログを続けていく所存です!なんて芝居がかったことを言うつもりはありません。マニアックなミリタリー本も英語学習のハウツー本もお色気たっぷりの漫画も、私が読んだという点では全く等価でありこのブログの紹介対象です。振り返りつつ、いつもの調子を保って続けることが確実に年ばかり食っている私を多少なりとも成長させるのではと考えております。

 

繰り返しになりますが、13周年を迎えることができたのも皆様のおかげです。これからもよろしくお願いいたします。