当時は大変な就職氷河期。
短大の友達の方がいわゆる「一流企業」に
就職できるタイミングでした。
企業への就職活動は一つもせず、
教員採用試験に向けてひたすら勉強しました。
倍率は20倍近く。
それを乗り越えるには、どれだけできればいいのだろう。
全部答えられなきゃダメなんじゃないか――。
そんなことを考えながら、
それこそ大学受験以上に一生懸命勉強しました。
とはいえ、大学受験ほどの難しさではないし、
内容も自分の興味のあることばかりだったので、
勉強そのものはそれほど苦ではありませんでした。
当時は、水泳やマット運動、跳び箱、
ピアノ演奏などの実技試験もありました。
幼い頃にピアノと水泳を習っていてよかったなあと、
心から思ったものです。
試験自体は、よくできました。
わからない問題がほとんどなかったので、
「こんな試験では、みんなできてしまうのでは?」
「どうやって差がつくんだろう」
そんな不安がむくむくと湧いてきて、
「やっぱりコネがないと無理なのかな……」
などと、疑心暗鬼になったりもしました。
面接は、個人面接と集団面接が一回ずつ。
きっと、がちがちに緊張していたのでしょう。
正直なところ、あまり記憶がありません。
ただ、集団面接ではテーマを与えられたあと、
なぜか一番に挙手して発言しました。
どうしてあんな勇気が出たのか、
今でもよくわかりません。
合格発表は郵送でした。
郵便受けから封筒を取り出し、
開ける手が震えていたのを覚えています。
そして――合格。
その場で「うわーん!」と号泣。
親に電話して、また号泣。
先生になれる。
小さい頃からの夢が叶う。
もちろん、それが一番の喜びでした。
さらに当時は、
「24時間働けますか」というCMが
堂々と流れている時代でした。
企業戦士のように働く世界は、
どう考えても自分には向いていない。
そう思っていた私は、
他の企業の試験は一つも受けていませんでした。
その先も受ける気はありませんでした。
だからこそ、
この合格しか道がなかったのです。
この先の道ができたことが、
本当に、本当にうれしかった。
もし今だったら。
令和の時代だったら――
もっといろいろな道があると思えたかもしれません。
でも、あの頃はそういう時代でした。
とにかく、
本当にうれしい合格でした。
ひとまず合格すると、次は
「採用前面談」に臨むことになります。
教員を長ーくやっていても
ふと読み返すと、改めて
大切なことを思い出させてもらえます。