皆さん、こんにちは。

 

 

三連休最終日の今日、寒いですね。

 

 

少し前までの陽気とは全く異なるこの気温に、戸惑っている人も少なくないのではないでしょうか。

 

 

寒暖差アレルギーという言葉もあるようで、体調崩されませんようご注意ください。

 

 

先日、Voicyの質問で「小6で英語を塾で勉強させる方がいいでしょうか?」という質問がありました。

 

 

塾の特徴や子どもの性格に合わせて対応法について回答しましたが、回答していてふと思ったことがあります。

 

 

なぜ塾に行く必要があるのか?というものです。

 

 

小学校で英語が必修化となり英語の授業が行われ、中学でも従来通り英語の授業を行われています。

 

 

授業を受け、課題があればこなしていれば、テストの点数が取れるはずではないの?という疑問です。

 

 

冷静に考えてみると、これは明らかにおかしいことです。

 

 

もちろん、学校は塾に行ってくださいとは言いません。(逆に私立中学などの一部では塾に行かなくても学力はつけるので行く必要がないと保護者に伝えている学校もあります)

 

 

何のために学校があり、何のために塾があるのか。

 

 

私は20歳から塾をやっているので、やってきた人間だからこそ、あえてこの疑問を持つことができます。

 

 

だいぶ昔になりますが、ある方が「学習塾が存在している国は不健全」と語っていたことが今でも頭に残っています。

 

 

中学受験は別として、高校受験、大学受験で思うことは学校は受験を前提に授業をしているのか、していないのかという問題意識です。

 

 

◆ していないとしたら、受験はなぜ存在するのか。中学と高校、高校と大学の接続を前提としていないことになります。

 

◆ しているとしたら、塾に行かずに学校だけで進学できる力がついていないとおかしいことになります。(学校が想定している学力以上の力を別につけていきたい場合は除く)

 

 

学校が塾と契約して塾の先生が放課後学校で授業するという報道があったことは記憶に新しいことです。

 

 

それをみて、「いいわね〜 学校で塾の授業が受けられるなんて」と思う人もいたと思いますが、そもそも学校は何をするところなのか?という根本的視点から考えれば、この状況はおかしいことがわかります。

 

 

「おかしい」ではなく「もうそこまで学校教育が行き詰まっている」と捉えることもできます。

 

 

となると、現状の教育を支えるために、塾が機能せざるを得ないという結果になります。

 

 

しかし、塾はお金がかかります。場合によっては月に5万とか6万円もかけている家庭もあります。

 

 

経済格差が教育格差につながっていることは容易に想像できます。

 

 

このいびつな日本の教育構造はあちことで綻びが出ています。

 

 

グラウンドデザインから書き上げ、それこそ”本当に有能な人たち”がモデル設計していくことが最も根本的方法ですが、ここまでツギハギだらけでやってきている巨大構造なので、難しいでしょうね。

 

 

少なくとも、学校の先生が本来の教員としての機能を発揮できる環境にしていくことはできるかと思うので、まずはその点から変えていくことかな。