結局残念ながら、本日午前3時、母は永眠しました。薄暗い病室で、

だんだん息が弱くなり、だんだん間隔が不規則になって、「父が20年

前に息を引き取った時と同じだ」と心の中では気づいていて・・・・・

 

耳の遠い母に、大声で「今までどうもありがとう」と言ったのだけど、

やっぱりその直後、とうとう一度止まった息は吹きかえすことは

ありませんでした。

 

思えば、本当に母とはいろいろあった。喧嘩ばかりしていたような

気もする。だけど、この一年は、私の作る料理を「あんたは料理人

に向いていた。」と喜んで食べてくれたし、その喜ぶ顔を見るのが

私にはたまらなくうれしかった。(今まであんまり褒められた記憶

が無かったしね。)

 

今年に入って、血を吐いて緊急入院してからは、なぜだか、時々

頭まで撫でられた。(ちょっとボケが入っていたような気もするが。)

人に褒められたことがあまりない僕は、それでもなんだか嬉しくて

毎日、果物を一口大に切って病室に持ち込んでおりました。

基本、流動食なのですが、看護師さんたちが、「まあ、小さく切れば

大丈夫でしょう。誤飲には気を付けて下さいね。」と言って

大目に見てくれたのだ。その果物を「おいしい。おいしい。

いままでの人生で一番幸せだ。」と食べてくれた。

看護師や介護の方たちは「すごい大食いのおばあちゃん」と

呼んでいたそうだ。

それが、4日までだったのだけど、急激に症状が悪化し、

もう翌日にはわけがわからない状態になってしまい、もう手を握る

ことしかできなくなってしまった。こういうのは辛いなあ。

 

それでもよくこの状態で2年近く頑張ってくれたと思う。

最後の終の棲家になった「24時間完全看護の老人ホーム」の医者に

は「脳梗塞やって、C型肝炎をやって、B型肝炎もやって、すい臓がん

で、95歳で、それもそれほど苦しんでいないなんて、それ自体

奇跡的なんだよ!本当は末期のすい臓がんは七転八倒の苦しみなん

だから。」と言われた。まあ、確かにそうだったのかもしれない。

この4日間前までは「全然痛いところなんてない。悪いところなんて

ひとつもないから早く家に帰りたい!」とか言っていたからね。

それを聞いて、「ああこの時がずっと続いてくれたらいい。」と

か思っていた。

 

ほとんど寝ていないからとりとめもない書き方になっているね。

 

とにかく、まだ49日前。おそらくまだ周りにいてくれている

はずだから、しばらく、また褒めてもらえるような生き方を

して行かないとね。