いつもの森林公園へお昼を食べに行く途中、何やら看板が・・・・

「幽霊・妖怪展 8/5まで」と書いてある!

おおそうだ!昨年も見に来たのだった。今日までじゃん!

 

で、森林公園でランチしたあと、すぐにお寺に向かうのだった。

なかなか由緒ありそうなお寺なのだ。なんでも建立されて370年だそうです。

幽霊・妖怪展の看板

お寺には樹齢630年という大イチョウがある。つまりこのお寺が

できるはるか前からあったのだろうか。

最終日に、入り口がこんな感じなのが、また良いのだ。

ああ、この手作り感が最高!

今回は、地獄絵巻からだね。

小さい子なら泣いてしまいそう。

そして、今年も、このおどろおどろしい絵巻は健在だった!

かように美しいお姫様が

病でお亡くなりになって・・・・

体がだんだん腐乱し始め、内部にガスが発生してぶよぶよに。

体中からウジが満ち溢れ

畜生どもに体を食まれて、腐った臓腑を巻き散らかされて行く。

とうとう、骸骨だけになり、

その骸骨も雨風とともにばらばらに・・・

こうして、あの見目美しかったお姫様も、土に帰って行く・・・・

この姿を見かねた人に、最後には墓を建てて弔ってもらっている。

(のだよなあ?)

いつみてもすごい絵巻だ。

おそらく、この絵の当時、人の死というのは今よりもっともっと身近で

生から死への流れはずっとずっと可視化されたものだったのだろうな。

(今は、「死」は隠されるものだけどね。)

その状態変化をずっとずっと食い入るように眺めていた、この作者

が目に浮かぶような気がする。そして、どんな美しいものであったと

しても、この「状態変化」からは逃れられない、という哲学的思考を

もって一枚の「絵巻」を完成させたのだろうね。いつの世も、そして

洋の東西を問わず、このような面白い考え方をした人間がいたのだ

ろうな。まあ、そこが人間の面白い所なのだろうけどね。

さて、去年もあったと思うけど、「幽霊絵」の数々。

 

 

 

 

 

 

 

これは「地獄大夫」 よく聞く名前だ。 ウィキにはこうある。

 

如意山中で賊にとらわれたが、あまりの美貌のため遊女に売られ、泉州高須町珠名長者に抱えられた。現世の不幸は前世の戒行が拙いゆえであるとして、自ら地獄と名乗り、衣服には地獄変相の図を繍り、心には仏名を唱えつつ、口には風流の唄をうたったという。

一休宗純が堺に赴いた時(一休が名高い地獄太夫を見に行ったとも言われる)、この遊女が一休を目に止め

「山居せば深山の奥に住めよかし ここは浮世のさかい近きに」[3]

と歌を送る。

で、あの高名な「一休和尚」とは、師弟関係を結んだ、というのだが

真実は歴史の闇の中である。

 

これは、「四谷怪談」の絵ですね。怖いですね。

 

 

 

これを「ハリセンボン」の「はるか」ではないか、と思うのは失礼

だろうか・・・・・

 

 

 

もっともっといろいろあったけど、この後すぐに授業があったので、

爆速で帰ってきました。しかし、この展示、毎年無料でやっている

のは、本当に頭が下がる思いがする。お寺にはお賽銭箱のような

物があったので、とりあえず100円を入れさせて頂きましたが、

金額的に罰当たりだっただろうか・・・・・