おや、目にも鮮やかな新緑の中に、よりあでやかな花の木が一本。
ああ、なんて美しいんだろう。なんか、一枚の名画のようだ。
よく見たら・・・・・なんとこれ、モミジ。紅葉しているのだ。
これが噂に聞く「春もみじ」と言う奴だろうか・・・・・種類によって、またはその時期の
環境によって、夏前に赤く色づくもみじがあるという。
ほとんど人のこないこの山奥で、人知れずひそかにたった一本紅葉をする「もみじ」。
これを見れただけでも車で5時間近くかけて来たかいがあったというものだ。
さて、さらに奥に進むと・・・・・
なにやら、気配がする。いや、気配に囲まれたような・・・・・・・
ニホンザルの群れだった。
10匹以上は居るだろうか。奴らは、私に興味津々なのか、決して逃げようとは
しない。私もこういう時は心ウキウキである。一匹一匹にフォーカスを当て、
写真撮りまくりである。
彼らの耳がダンボになっているのが良くわかる。
サルにもいろいろ個性があるなぁ。しかし、誰もいないこんな山奥で、もし
女の子や子どもだったら、恐怖体験かもしれないね。けど、怯えた顔は
してはいけない。奴らは人の顔色をうかがうから、こちらがひるむと何を
しでかすか、わからない。まあ、嬉々としながらカメラを向けてくる髭のオヤジ
には、歯向かう事はしないようだけど。
動画なども。
しかし、これは考えてみたら由々しき事態である。
自然の動物たちが人を全く恐れなくなった、という事だからだ。
原因の一つは、急激な「過疎化」だろう。
まあ、この福島には「原発」問題もあるが、それを抜きにしても全国の山間部は
絶望的に過疎化が進んできている。すると、まず起きるのが、「里山」の崩壊だ。
実は・・・・日本の森林、というのは、自然のまんま、というのはそれほどない。
数千~数万年の長きにわたって、日本人の祖先が作り上げて来た「里山」が
ほとんどなのだ。自分たちの生活に役立てるために、ある程度手を入れ、そこから
薪をとったり炭焼きをしたり、住居の建材を取ったり、木の実を取ったりしてきたのだ。
「里山」は、まさに、考えつくされた究極の「人工構造地帯」と言えなくもない。
だいたい、日本の関東から西方面で、まったく手つかずの自然は、もうほとんど
うっそうとしたジャングルに近く、決して人間にとって快適なものとは言えない。
富士の樹海、といえばイメージがわくだろうか?(ただ、あそこも富士山噴火後に
再生した比較的新しく出来上がった森林地帯である。)
私たちが、「気持ちいい森」という場合、まずほとんど「里山」の事なのだ。
そして、「里山」はおのずと、自然の動物たちにとって緩衝地帯「バリアー」としても
機能してきたのだ。現在、過疎化によって山の手入れが滞り、里山が崩壊しはじめ、
野生動物たちが、人間を恐れずにどんどん「下山」している状況である。
そういった場合の「出会い」は両者にとって不幸である。「自然が復活、素晴らしい!」
と単純には喜べないのである。日本列島津々浦々、難問山積である。
続く