筑波山へ行くとき、常磐高速で走行中、トラブルがあった。

エンジン回転数が4千以上になると、動力が伝わらなくなり、すっぽ抜けた

「空ぶかし」のようになるのだ。必然的に高速走行ができなくなった。

で、高速道路は「70キロ」で走った。かなり怖かったけど、途中引き返すの

もなんだから、筑波山で一泊して、帰りは一般道を通ってノートラブルで

自宅に帰ってきたのだ。(もちろんエンジン回転数を4千回転以下にしてね。)

 

さて、帰宅翌日、さっそく行きつけの「修理屋」さんに車を持って行った。

ところが・・・・・修理屋さん到着直前、エンジンの回転数にかかわらず、まったく

動力が伝わらなくなった!空ぶかしのエンジンは爆音を立てながら高回転に

なっていくのに、車速はどんどん落ちていく。これが 国道で起こったのだ。

十二指腸潰瘍の病み上がりの身には、かなりの極限状況である。

このままどうなる?胃がキリキリ痛み出した。

後続車からのクラクションがそろそろ・・・・と思った刹那、

ウソみたいな話だが、ぎりぎり修理屋に到着。そのまま惰性で修理場に

車を突っ込めたのだ!ああ、この車は、その老体に鞭打って、最後の力を

振り絞って、修理屋まで頑張ってくれたのだ!

日本の古い考え方に「人間に長い間愛された物には魂が宿る。いわゆる

「付喪神」となる。」というのがあるが、今ならなんだか信じられるような気がする。

 

工場では修理屋さんたちが駆け寄ってきた。「北川さん。どうしました!」

私は神様に感謝しながら「もう、この車はまったく動かせませんから!」と

言うのが精いっぱいだった。

 

この車、「スバル サンバー ディアスⅡ 」は、販売開始の平成2年から3台乗りついでいる。

販売前にこの車のカタログを手に入れ、寸法を測りながら、大型自作望遠鏡を

作り上げた。だから、まさに「ジャストマイサイズ」で、4人フル乗車の状態で、

天文台に設置してるような自作大型望遠鏡を運搬できる。だから他車に乗り換える

ことなど全く思いもつかなかった。

たとえば、こんな感じ。望遠鏡の一番大きな中核パーツなのだが、100キロあって

流石に積み下ろしが大変なので、「折畳タラップ」を自作した。

これがそのタラップ。(サンダーバード2号みたいでしょ。)

これが、後部座席の下部部分にすっぽり入るように設計されている。

この車を選び続けている理由はそれだけではない。性能自体異例である。

「軽」なのに、エンジンは四気筒エンジン、また、リアエンジンで独立四輪懸架だ。

(これはポルシェ911と同じ構造)その上、私の車にはスーパーチャージャーが

ついて、かつ、フルタイム4WDなのである。その上、ミッションは当時先進の

「無段変速機システム ECVT」だった。上記のことだけでも、当時から現在に

かけて、この車は軽ワンボックスの中では「唯一無二」の存在であり続けた。

(この車の商用車は、ずっと「赤帽」の専門車として採用され続けていた事でも

完成度の高さがわかるだろう。マニュアル車は60万キロくらい普通に走る

らしい。ただ・・・ECVTは先進的過ぎて、当時はまだ未成熟な技術だった。

10万キロが耐用限界だろう。今回の故障もこのECVTである。)

 

そして、サンバーの中でも、このディアスⅡの最大の特徴は、なんと天井が

全部ガラス張りなのである!見よ、この解放感!運転席の上だけ、申し訳

程度のガラス窓の「サンルーフ」とはわけが違うのだ。

外から見るとこんな感じ。

上から見ると、こんな感じっす。

この車は、日本のバブル絶頂時代、スバルの「遊び心」をすべてぶち込んだ車だったと言える。

「走り」とか「燃費」とかではなく「遊び心」に全ベクトルを集中させた車。おそらく、こんな冗談

みたいな車は、これからの日本には、絶対に現れないだろうなぁ。

 

続く