うすうすはわかっていた。

年末年始から、講習や受験でかなり無理がきているなぁ、と。

空腹時、「みぞおち」が痛むことが続いていたし。

で、先々週の金曜日(4/6)、尾籠(びろう)な話で悪いけど、昼にトイレに行ったら

便が真っ黒。一応、生物畑の人間だから、胃潰瘍か、十二指腸潰瘍だ、

というのはすぐに分かった。出血場所が消化器系の下流(例えば、大腸や

直腸や「痔」の場合)は、便は鮮血に近く真っ赤になる。

逆に、胃や十二指腸に出血がある場合は、小腸を経て、消化液等の作用

を受け「真っ黒」になるのだ。「ああ、来たか!」と思ったけど、夕方からの

授業の事を考えたら、「いや、きっと何かの間違いだ。」と頭のチャンネルが

自動的に切り替わった。今にして思えば、人間の思考パターンというのは

面白いものである。「見たくないものはなかったことにする」のです。

で、記憶も一緒に流すように、トイレも流して、きれいさっぱり!と、

行くわけもなかったのだった。

 

夜、授業が終わり、またトイレに行ったら、再び真っ黒。その後、かなり激

しい立ち眩みがあり、意識が消えそうになる。消えそうになりながら、「これは

おそらく十二指腸潰瘍の大量出血による貧血だ。状況はかなりヤバい!」

と判断。その場で横になる。血流が脳に通うようになり、首の皮一枚で意識を

取り戻す。さて、どうしたものか・・・・・・

ちょっとでも起き上がろうとすると、電池が切れたように意識がとびそうになる。

「これは、緊急事態である!たとえば、このまま寝てしまって、出血が止まらな

かったら、永遠に明日がやってこないかも!明日が来たとしても血圧低下に

よる脳梗塞を起こしていることも十分ありうる!」

 

で、スマホを探すと、遠くの机の上に小さくポツンと僕を呼んでいた。

「人生って何だろう」とか思いながら、「瞬間で良い!俺の意識、持ってくれ!」

と神に頼んで、消えかかる意識と格闘しながらスマホを取りに行く。

やった!スマホゲット。神様ありがとう!

意識が飛ぶ前に素早く横になり、兄に電話。

「すぐ来て頂戴」

 

で、夜中、12時、何とか近くの総合病院へ運ばれたのだった。

通常、高血圧で上が150近くあったりするのだが、80しか無かった。

で、即、「緊急入院」

 

これは、ちょっと良くなった時に撮ったもんだが、病室の白い天井を眺める

事なんて、ほぼ50年ぶりだ。幼少期、近くの病院で「盲腸(虫垂炎)」を誤診され

腹膜炎、腸閉そくを併発し、死の一歩手前まで行った。東京の大病院に

搬送された時、医者が「手術してもしなくてもおそらくダメですが、どうしましょう?」

と言ったそうだから、半歩手前くらいだったかもしれない。あの時は一カ月

こうやって白い天井を眺めていたっけなぁ。

で、土日と点滴だけ。さて、月曜からの授業はどうする?この状況では生徒に

連絡をつけようもないぞ。

先生は、若くてきれな女医さんだった。私は、「月曜から授業があるのですが、

ちょっと行ってきてもいいですか?」と聞いたら

「はぁ?」と言われた。

この時、塾の生徒たちが僕にお願い事をするときのいつもの様子が頭に浮

かんだ。そうだ!これで行こう。

 

「お願い♡お願い♡お願いしますよぉ先生♡(ゴロゴロにゃんにゃん)」

 

もちろん、新入生が何人も来るから、流石に初日から塾長がいないとまずい、

とかの説明もしましたよ。

女医さん、ちょっと眉間にしわを寄せながらも「しょうがないですねぇ。出血は

止まったようだし、血圧も戻ってきたようだし・・・・・その代わりもう二日も何も

食べていないし、もし、向こうで何か異変があったら、即病院に連絡してください

ね!」と。

 

ゴロゴロにゃんにゃん作戦大成功!

 

で、月曜日、何食わぬ顔をして、教室に戻って、授業。何食わぬ顔をして、

夜10時に病院に帰還。我ながら無茶苦茶である。

 

さて、入院していてもやることは山ほどあった。まず、受験期や、講習で

全く読めなかった2か月分の新聞の読破。貧乏性で、読み終えないと

新聞回収に出せないのだった。

もちろん、生徒の授業の準備もしなければならない。なんと、外出授業

を絶食のまま金曜日まで続けたのだ。「毎日、病院から職場に通勤している男」

と異名を取るようになった。そして、筋力が落ちないように、ヒマがあると、

点滴をしたまま部屋の隅で「スクワット」を続けた。時々、針の入った手が点滴

より上に上がってしまって、血流が逆流してきて焦った。

今から思うと、周りの人々はきっと奇異な目を向けていただろうなぁ。

看護師さんたちは苦笑いしながら「北川さんだから、まあしょうがないよね」

というふうになっていった。一週間の行動の成果だった。

 

そうそう、この病院、なんとこんな立派な展望風呂がついている。全く知らな

かったのだが、知ってからは毎日入るようにしていた。いつ行っても私以外

ほとんどだれも入っていないのだ!もったいないなぁ。

 

さて、土曜日(14日)、とうとう点滴が外され、食事が出された。これが

記念すべき一週間ぶりの食事。ああ、体に染みわたる。

実は、この時、どうしても業者に渡さなければならない封書があったのだが

封書を閉じるセロテープものりもなくて困っていたのだ。で

昔の食いつめ浪人はこうやって笠はりをしていたんだろうなぁ。

そしてこの時、女医さんから、「北川さん!日曜に退院できますよ!」と

言っていただけたのだった。

ああ、この入院生活もやっと終わるのだなあ。けど、女医さんも看護師さんたちも

薬剤師さんも、みんな優しくって親切だったな。退院するのが名残惜しい。

とか、思いながら、病院の外を患者衣のまま散歩してみる。

ああ、外は春まっさかりなのだね。

で、本日日曜日。あいにくの雨。

これが最後の病院食。決して美味しいというわけではないけど、しっかり

味わって食べましたとも。

僕がずっと居た場所。おそらく午後には違う人がここい居るのだろうな。

入院は9日。自分を見つめなおす、いい機会にはなったね。同室の方も

みんな良い人たちで「もうちょっと入院して行けよ!」と名残惜しんでくれ

ました。ううううう。

胃潰瘍、十二指腸潰瘍は、最近では「ヘリコバクターピロリ菌」が主原因

という事になっている。しかし、僕はその対抗策として10年以上前から

ピロリ菌と拮抗作用のある乳酸菌「LG21」を毎日摂取し続けている。

だからまあ、「ピロリ」ではなく「ストレス」が原因だったんだろうね。僕の場合。

(ピロリ菌検査の結果は、時間がかかるので後日外来で、という事だった。)

 

だから本来、こんな無茶な事は絶対にやっちゃあだめだよね。

やっぱり、十二指腸潰瘍のようにストレス性の高い病気の時は、病院で

おとなしく寝ているのが一番だ。ただ、あの状況で子供達をすっぽかして寝て

いるのも相当なストレスだったろうけどね。とにかく、良い子は真似をしないでね。

 

さて、病院からの帰りに、ホームセンターによって、前の桜の肥料を購入。

帰ったら早速教室前の桜の花への「お礼肥」をあげなければね。