しかし、月と太陽の関係というのは、本当に不思議だ。大きさで400倍の違いがあるのに、ほぼ同じ大き

さに見える。これは太陽が月より400倍離れているからなのだ。これぞ「天の采配」。


それに、月と地球の公転面が微妙に傾いているので、金環日食や皆既日食というのは、同一地域では

めったに起きない。ざっと計算すると、(天候も考慮に入れると)一人の人間が同じ場所で金環・皆既日

食に出会えるのは一生に一度あるかないか、くらいだろう。つまり「人のライフスパン」とほぼ一致している。これはいったいどういうことか?

もし公転面が同一平面に近かったら、もっとずっと頻繁に日食は起こっていただろう。しかし、その場合、太古の人類は「不思議だけど、まあ日常の風景」として捕らえていたに違いない。たとえばいまだに正確な正体がわからない「重力」のように。


また、もっと公転面が傾いていたら・・・・日食は数百年、数千年のスパンになってしまうかもしれない。そうすると金環・皆既日食は、単発でたまたま遭遇した「理解不能な驚くべき現象」でそのまま歴史の闇に紛れ込んでしまう気がするのだ。


人類自体に強力な「畏怖」の念を引き起こさせる感覚が継承されるとしたら「人のライフスパン」という間隔でしか、起こりえない気がする。だから日食は世界中に神話や伝説の中に登場するのだ。まるで「神々の存在の証」のように。 こんな現象って、どう考えてもわざとらしいでしょ?