処女の泉。 | 江戸の杓子丸

江戸の杓子丸

化け猫 杓子丸の大江戸見廻覚書


「処女の泉 Jungfrukällan」


89分 瑞  1960年

監督 イングマール・ベルイマン

製作 イングマール・ベルイマン アラン・エーケルンド
脚本 ウラ・イザクソン
音楽 エリク・ノルドグレン
撮影 スヴェン・ニクヴィスト
出演 マックス・フォン・シドー ビルギッタ・ヴァルベルイ
    グンネル・リンドブロム ビルギッタ・ペテルソン ほか


【完全ネタバレ】


ドラキュラこそ人間らしい。★★★☆☆


〔ストーリー〕
 キリスト教徒の無垢(むく)な娘を襲う悲劇や、父親の手によってなされる制裁とその後を描き出す。復讐(ふくしゅう)に燃える父親を、ベルイマン監督作品には欠かせない名優マックス・フォン・シドーが熱演。


古い映画を観て面白いのは、もうこういうのをやっちゃってるんだなぁとわかる事。
ベルイマン監督がすごいといわれる理由が少しわかった。

「野いちご(1957)」はロードムービー、ロマンチックコメディといっていい「夏の夜は三たび微笑む(1955)」、そして社会派シリアスドラマといっていい本作といろんな映画を撮っていて、映画もあんまり成長してないな、とさえ思わせる。



物語は簡単で、娘をレイプ殺害された父親が復讐を果たすという物語。

突然の悲劇で遺族の心が壊れていく様子を扱ったり、加害者に対しての復讐は許されるのかを問う映画など今でもこういう物語はたくさんある。


カリンは裕福な地主テーレの一人娘で甘やかして育てられ、世間知らずに育つ。

侍女のような扱いの養女インゲリは密かにカリンを呪っていて、カリンの身に悲劇が起こってもそれを目撃しながら助けようとはしなかった。

何の苦労もしらない清純なカリンと暗い影を持つインゲリの説明や対比、そして衝突とたんたんと展開されていく。


美しい森の中を馬で教会へと一人向かうカリンと、ひたひたと邪な心と共に彼女を追う羊飼いの三兄弟。

この美しい世界には悪魔がどこにでも隠れていて、災いをもたらす。



ウィキペディアを見ると、

「少女のレイプという当時としては衝撃的な題材を扱っただけあり、本作品は公開時に内外で物議を醸した。
アメリカでは近年DVDが発売するまで、一般家庭では検閲が入ったバージョンしか視聴できない状態にあった。

一説にはベルイマン本人も問題のシーンを削除するよう脅迫を受けたという。」

とある。

なるほどね、、当時はショッキングだったんだ。


その後、カリンをレイプ殺害した三兄弟はカリンの両親の家と知らず、宿を乞う。
そして、カリンの衣服を両親に売り飛ばそうとする。

カリンの悲劇を目撃しながら何もしなかったインゲリの告白と、カリンの父親テーレによる復讐と続くんだけど、どうも迫ってこないのが残念。


最終的に、インゲリに罰は与えられない。
告白したからか。

三兄弟の末っ子はまだ小さくて兄弟の悪行を見ていただけだが、テーレはそんな事は知らないし関係ない。

その末っ子を持ち上げて壁に叩きつけて殺す。
豪快やなと笑ってしまった(笑)

テーレの妻が、死んでしまったその小さい男の子を抱く。
無駄な死、無意味な死。



復讐を遂げたテーレ達は遺体となったカリンに会うため森へ。

ぞろぞろと数珠つなぎのように歩く様子が「第七の封印(1957)」を思い出させた。

遺体と対面する遺族の様子をこんな風にしっかりと描いた映画やドラマってあんまりないような気がするな。

遺体を抱き上げ、ただただ泣く妻とわなわなとふるえる父親。

テーレは娘を救ってくれなかった無言の神を呪いながらも、その復讐の許しを請い教会を建設すると誓う。

神に対して怒り、天へと叫ぶ様子は「ドラキュラ」みたいでよかった。
しかし、テーレはドラキュラとは違い冷酷な神に祈り続ける。


テーレと妻がカリンを抱き上げると、横たわっていた場所から突然泉が湧き出す。
一行は神の存在を感じるのだった。

インゲリはその水を顔にかけ微笑む。
このインゲリに罰が与えられない事に納得できないけど、そういうものか。
彼女は、人間の弱さの象徴かな。


聖書か何かにあるのかな、聖なる泉が湧き出るという物語や表現が。
僕にはわからなくてピンとこない。

カリンは教会へ向かっている時に襲われたのだが、真面目な信仰心があるとも思えない少女。
しかし、何故カリンはこのような悲劇に襲われたのか、これは神による罰なのか。

不条理と冷淡な神。



このベルイマン監督の映画を観ると、なんともよくわからん生や死を前に、なんともよくわからん神やその救済を求める人間の弱さや切なさを感じさせられる。


やや淡々としていて、89分でも長く感じたな。

ただそれまで、にこやかで無邪気なカリンが三兄弟の劣情を察し恐怖と絶望の表情へと変わるカットや、亡骸となったカリンと両親の対面シーンにおける大げさでないリアルな演出が強く印象に残った。