太平記 完全版 Disc.10。 | 江戸の杓子丸

江戸の杓子丸

化け猫 杓子丸の大江戸見廻覚書


太平記 完全版 Disc.10



172分 日  1991年(2008年完全版DVDリリース)



演出 田中賢二 佐藤幹夫 門脇正美 尾崎充信 


製作 一柳邦久
脚本 吉川英治(原作) 池端俊策  
音楽 三枝成彰
撮影 杉山節郎 細谷善昭 永井勇 
出演 真田広之 沢口靖子 陣内孝則 大地康雄 
    高嶋政伸 柄本明 根津甚八 武田鉄矢
    柳葉敏郎 宮沢りえ 樋口可南子ほか


江戸の杓子丸


【完全ネタバレ】




〔解説〕
 騒乱の南北朝時代を武家の棟梁・足利尊氏を中心に描いたNHK大河ドラマ第10巻。
 鎌倉時代末期、源氏の血を継ぐ足利尊氏は、さまざまな人物との運命的な出会いの中で成長し、腐敗した幕府打倒の決意をする。
 

 第36回「湊川の決戦」から第39回を収録。






第三十六回 「湊川の決戦」


この回と次の回、楠木正成(武田鉄矢)のシーンはほとんどずっと泣いていた(笑)



河内の正成に足利尊氏(真田広之)討伐の勅命が下る。


正成は作戦のため帝(片岡孝夫)に京から比叡山へとご動座願うが、退けられてしまう。


京都郊外で正成は嫡男・正行(まさつら)に「河内へ帰れ」と命ずる(桜井の別れ)。


「父上と共に死ぬ。」という正行に正成は「大人になってから自分の人生を決めよ。」と諭すのだった。



武田さんと正行役の子の演技がもう涙なしには観れない。


尊王水戸学はよくわからないけれど、徒死とも言える正成の散り方は何て美しいのだろう。


自分は単純バカだから、そう思ってしまう。それはそれでいいのだ。


そう教育したりするのは、考えもんなのだろうけど。



建武3年(1336)。


摂津・湊川で新田義貞(根津甚八)、楠木軍は九州より東上してきた尊氏を迎え撃つ(湊川の戦い)。



沖の尊氏らが乗った船の画はおそらく絵で合成なんだろうけど、もうドイヒー(笑)


でも、全然気にならない。


もう好きになったら、いい所しか見えない(笑)


この回かちょっと前から尊氏がひげを蓄えるようになった。


やっぱり貫禄が出るというか、しまるもんだな。





第三十七回 「正成自刃」


尊氏軍のおとりの船につられ追うように新田軍は東走。楠木軍は会下山で孤立してしまう。


そして、尊氏軍はまんまと正成軍を叩きにかかる。


多勢に無勢で楠木軍は壊滅。古寺で正成と弟・正季(まさすえ)は刺し違えて自刃。



その無能さにあきれ果て公家らも離れていった帝に、日頃のご恩を忘れず最後の最後まで戦う正成は確かに武士の鑑なのかもしれない。


忠臣蔵にしてもそうだけれど、こういうモノが好きなのは日本人のDNAによるものなのか、それともやはり皇国史観が残っているのか。


いや、天皇に忠義を尽くす云々ではなく、(幕末の尊王攘夷論も実際ただのあいさつみたいなもんだったろうし)人間として最後まで恩人を裏切らないという事は、自分の信じる道を突き進むという事はホント美しいものだなぁ。


尊王水戸学からすれば足利尊氏は国賊となり、この「太平記」は壮大なピカレスクとなるんかな。



尊氏の命で右馬介(大地康雄)は正成の首を正行のもとへ届ける。


正行がふるえる手で蓋をはずし検分するシーンはもう涙が止まらなかった。


責任を押し付けるように新田を面罵する大蔵卿。


否定した正成の作戦を採用するよう帝に進言する。


帝は今さら納得し、比叡山へ退く。


帝たちの無能ぶりが笑えるし、見せ方がうまいなぁ、と思う。



新田は尊氏に坂東武者の習いで一騎打ちを所望する。


尊氏は馬鹿正直にそれに応え、二人は刀を交えるのだった。



古典太平記にどうあるのかわからないけれど、応えてしまうところに尊氏の潔癖さやまっすぐさが表現できている気がする。


甲冑を着込み騎馬でアクションをやるのは実際大変だろうなぁ。


真田さんは慣れてるだろうけど。




江戸の杓子丸




第三十八回 「一天両帝」


尊氏は帝に和睦を申し入れる。


幕府を許さない帝に、尊氏は
「自分がやらざるとも新田殿がやはり幕府を開くでしょう。武士とはそういうものです。」


帝はそれでも「理念は曲げぬ。」と我を張るのだった。


のち、幽閉されていた花山院を脱出し、吉野朝廷(南朝)を開く。


帝の妃・三位局(原田美枝子)が早速、尊氏に言い寄る。


この辺の節操のなさが、公家の真骨頂だな(笑)



建武3年(1336)。


尊氏、権大納言に任命され、建武式目十七ヶ条を定めて室町幕府を発足させる。


佐々木判官(陣内孝則)は南北朝並立に
「足利殿のあいまいな態度のゆえでござるぞ。」


対後醍醐天皇にしても、対直義、対直冬にしても確かに尊氏の寛容さがあだになっているような気がする。


父・貞氏が熟慮する腰の重い人物だったけれど、何かキャラが似てきたな(笑)


なるほど、うまい。





第三十九回 「顕家散る」


尊氏の庶子・不知哉丸〔いざやまる〕(直冬)が武士になりたいと尊氏に拝謁を請う。


尊氏は父親である事も認めず、武士になる事も許さないのだった。



不知哉丸役筒井道隆がここではどうも賢そうに見えない。


嫡男・千寿王(義詮)もそうでなんか子供が全部馬鹿っぽいんだよなぁ(笑)


意図的な演出やキャストかなぁ。



一方、帝の側近・北畠親房の長男・顕家(後藤久美子)は鎌倉を占領し美濃へ。

しかし、北朝を避け、父のいる伊勢へ。


「何故、京へは遠回りの伊勢へ来た」と問う父に顕家は「父にお会いしたくて・・・。」と涙をぽろぽろこぼす。


「そんな事を言っていては、武家になめられる。伊勢へに来たのは、吉野の帝に拝謁した後京へ攻め上るためだと言うのじゃ。」
とたしなめる。


優秀な息子ゆえ厳しくなってしまう。

子への愛情の表現はいろいろあるものだなぁ。


和泉・堺で奮戦実らず顕家、夕日の中自刃する。
(古典太平記では戦死のようだ)


享年21だという。



この「太平記」は“親子”がテーマの一つのようで、貞氏と尊氏、尊氏と直冬、楠木正成と正行、北畠親房と顕家など激動の時代において親子がその血や夢(遺志)をつなぎ生きていく、とても壮大な叙事詩だ。


新田義貞(根津甚八)は皇位を譲られた恒良親王(つねよししんのう)を奉じて越前へ。


帝は義貞に何も言わず勝手に尊氏と和睦したワケで、捨てられたようなものだなぁ。


正成にしても、ホントかわいそうだ(笑)


実際、義貞は尊氏とは今さら手を握る事は出来ないだろうから、帝につくしかないワケだけど。後醍醐天皇に少しでも(たとえば人間性に)救いがあるのならいいんだけど・・・。


もう徒死としか思えない。く~。



今さらながら、この「太平記」では夕日を衰亡や死のシンボルとしていて夕日のカットが多い。


後半の戦さのシーンはもうほとんど使い回しじゃんか(笑)