この記事は一つの考え方として、ご覧下さい。

 ごらんになられた方々それぞれの立場で 様々な思いが有る事かと思われますし、猫も返答いたしかねる内容となりますので、どちら様ともコメントは控えさせていただきますね。


 

 

 現在、植物人間という表現は用いてよいものか、悪いものかはわかりませんが、 

 植物状態になった母親に寄り添って、8年目にだかなられる、60代のご息女が介護相談されていた時のおはなしです。

 

 お母様が救急搬送され、その結果、医師から意識の回復の見込みがない事を告げられた際、そのご息女さんも、他、ご家族様も一同、『どうか母を助けて下さい』 『どんな状態でも構いません。どうか命だけでも助けて下さい。』と、皆で医師にすがったそうです。

 

 2年目あたりまでは、ご親族様と交代でお母様の付き添いをなさっていたそうですが、3年目辺りから、交代する回数も減り5年目にはすっかりご息女さんだけになっいたそうです。

 

 ある時、何をしても、意識の戻らない母親が憎らしく思えて、あり得ない強さでお母様のお鼻を摘んでしまったり、 腕を────  これまた あり得ない方向で捻ってみてしまったそうです。

 

 そしてご息女さんは あの時、回復の見込みがないと言われ、すがった時は、本当に助けて欲しかったのに、今ではすっかり憎らしく思え、あの時、どうして、あんな事を言ったのだろう。 でもあの時は本当に助かって欲しかったし、なんとか生き延びて回復して欲しかったのに─────

 酷い事をしてしまう鬼の様な自分を恐ろしく思ったりで、余計、無反応のお母様を恨めしくおもってしまって、かといって、延命の装置を止める決断も出来ず、辛い との事でした。

 

 その回答は こうでした。


 貴方様や、ご家族様の お母様を救って欲しいお気持ちは本心からの言葉でしょう。

 そしてお母様も、貴方様がお母様とのお別れの決断が出来る時まで頑張って下さっていたのでしょう。  ────そろそろ、その時が来たのではないでしょうか。 と。