明治の迎賓館「延遼館」復元工事が浜離宮で始まっていました
明治時代に浜離宮に作られ、外国の賓客の接待や様々な晩餐会などに使われていた延遼館という建物がありました。
こんな建物です。
老朽化で明治のうちに解体されてしまったのですが、東京都はこの建物を2020年の東京五輪までに復元し、外国の賓客を迎える施設にすることを今年決めました。
その工事が浜離宮で始まっています。
正確には工事の準備段階になる発掘調査です。
延遼館が解体されたあとは芝地になってるので、おそらく基礎などはきちんと残っているはずです。
工事以前はこんな感じの芝地でした。
延遼館跡の案内板が立っていました。
工事の説明では、掘り出して確認したあとは保護シートをかけて埋め戻す、と書いてあるので、おそらく復元時もその上に遺構を保存したまま建てるか、やや場所をずらして建てるものと思われます。
復元予定地は板で仕切られ、中では発掘の溝が掘られていました。
そして今年復元されたばかりの「燕の茶屋」も初めて見てきました。
光の加減でいい写真がないのですが、ピカピカです。
中には入れないので覗くだけですが、将軍が座ったと思われる座敷の部分だけ、高くなっているのがわかりました。
浜離宮には江戸時代に作られた多数の茶屋があったのですが、すべて関東大震災と戦災で焼けました。特に戦災がひどかったです。
戦後、都は少しずつ復元を進め、これまでに中島の茶屋、松の茶屋、この燕の茶屋の復元を終えました。
茶屋以外にも潮入りの池の復元整備、ウミウの被害のひどかった鴨場の池と鴨猟の設備の整備、物資を運んだ内堀の整備などを進め、江戸時代の姿が徐々に戻ってきています。
潮入りの池に面し以前は売店があったのですが、すっかり撤去されて更地になっていました。
ここにもかつて鷹の茶屋があり、2017年に復元することが決まっています。
これがそのかつての写真ですが、この茶屋は茅葺きのようですね。
ここはぜひ中で休める施設にしてほしいのですがどうでしょう。
今、園内でゆっくり休めるのは中島の茶屋しかありません。
ほかは壁のない東屋ばかりです。
残るは海手茶屋だけですが、このペースだと2020年までには再建されそうです。
そうなると幕末の浜御殿の姿がすっかり蘇るわけで、たいへん楽しみです。
こんな建物です。
老朽化で明治のうちに解体されてしまったのですが、東京都はこの建物を2020年の東京五輪までに復元し、外国の賓客を迎える施設にすることを今年決めました。
その工事が浜離宮で始まっています。
正確には工事の準備段階になる発掘調査です。
延遼館が解体されたあとは芝地になってるので、おそらく基礎などはきちんと残っているはずです。
工事以前はこんな感じの芝地でした。
延遼館跡の案内板が立っていました。
工事の説明では、掘り出して確認したあとは保護シートをかけて埋め戻す、と書いてあるので、おそらく復元時もその上に遺構を保存したまま建てるか、やや場所をずらして建てるものと思われます。
復元予定地は板で仕切られ、中では発掘の溝が掘られていました。
そして今年復元されたばかりの「燕の茶屋」も初めて見てきました。
光の加減でいい写真がないのですが、ピカピカです。
中には入れないので覗くだけですが、将軍が座ったと思われる座敷の部分だけ、高くなっているのがわかりました。
浜離宮には江戸時代に作られた多数の茶屋があったのですが、すべて関東大震災と戦災で焼けました。特に戦災がひどかったです。
戦後、都は少しずつ復元を進め、これまでに中島の茶屋、松の茶屋、この燕の茶屋の復元を終えました。
茶屋以外にも潮入りの池の復元整備、ウミウの被害のひどかった鴨場の池と鴨猟の設備の整備、物資を運んだ内堀の整備などを進め、江戸時代の姿が徐々に戻ってきています。
潮入りの池に面し以前は売店があったのですが、すっかり撤去されて更地になっていました。
ここにもかつて鷹の茶屋があり、2017年に復元することが決まっています。
これがそのかつての写真ですが、この茶屋は茅葺きのようですね。
ここはぜひ中で休める施設にしてほしいのですがどうでしょう。
今、園内でゆっくり休めるのは中島の茶屋しかありません。
ほかは壁のない東屋ばかりです。
残るは海手茶屋だけですが、このペースだと2020年までには再建されそうです。
そうなると幕末の浜御殿の姿がすっかり蘇るわけで、たいへん楽しみです。