和田倉門跡の石垣は見えるようにして欲しい | 黒田 涼と江戸を歩く

和田倉門跡の石垣は見えるようにして欲しい

昨日書いた和田倉噴水公園レストランは、和田倉門という江戸城内郭の門の脇にあります。

この門は江戸城の門の中でも最初期に造られた門と思われ、1602年にはすでに門があり、1620年に現在の形になりました。

門の前は日比谷堀でしたが、現在は行幸通りと内堀通りが埋め立てられて堀が分離され、和田倉堀という名になっています。
この和田倉堀の日本生命ビル脇からは、江戸時代はさらに道三堀という堀が、江戸湊まで続いていました。
いまの江戸橋あたりと思われます。
この堀を造る工事が、徳川家康が江戸に入ってほぼ最初に行った工事です。
つまり江戸城構築にあたって、資材などを城下直前まで持ってくるための重要交通路だったのです。

そのような重要な場所の門ですが、江戸城完成後は大名小路地区(現在の丸の内)と西の丸下(皇居外苑)をつなぐ橋になりました。

そしてこの門は、江戸城城門の枡形石垣が完璧に残っている数少ない門の一つです。
しかも皇居内や東御苑など普通は入れなかったり、夜間は入れなかったりする場所ではなく、いつでも人が入れる場所で、しかも東京駅の目前という好位置にあります。

私はここにぜひ、かつての和田倉門を復元してほしいと思います。

実は敗戦まで高麗門(第一の門)はありました。
しかし米軍の爆撃による火災で焼失した半蔵門に移築され、なくなってしまったのです。

各地での門の復元例から考えて費用は10億円程度と思われます。
10億円というとものすごい価格のような気がしますが、このビル ぐらいです(笑)。

しかし考えて見てください、東京駅至近、パレスホテル眼下に壮大な江戸城の城門が復元されたら!
外国人観光客は大喜びですね。

復元ですから、櫓門の中は資料室と一部展望カフェなんかもいいかと思います。

まあこれは夢のような話として、現状すぐにできることがあります。


せっかく完璧に残っている枡形石垣なのですが、それが樹木に覆われてほとんど見えないのです(写真)。

これはもったいないことです。
北の丸公園の田安門に行かれたことのある方はわかると思いますが、四方石垣の枡形は、大変威圧感があって感銘を受けます。
和田倉門も丁寧な表面仕上げや、加工の際の矢穴なども見られ、興味をそそられます。

ぜひ枡形内の樹木を切って、石垣を見えるようにして欲しいと思います。
また歩きにくい玉砂利もやめてもらいたい。
石垣に近づかないように意図的にしているのでしょうか?
だとしても、石垣の手前に小さな植え込みを作ればいいことで、今のように隠す必要はないでしょう。