近代日本の火薬製造に貢献した澤太郎左衛門 | 黒田 涼と江戸を歩く

近代日本の火薬製造に貢献した澤太郎左衛門

大軍都・東京を歩く 」発刊記念、「大軍都・東京を歩く 」未収録23区内軍用地エピソードシリーズ第15弾です。

板橋区の加賀公園内に圧磨機圧輪という火薬製造機械の部品を再利用して建てた記念碑があると、本書内で書きました。
「火薬製造創始記念碑」というのですが、この碑は、日本での近代的火薬製造介しに貢献した澤太郎左衛門の顕彰碑でもあります。

黒色火薬は最古の火薬ですが、近代工場では、硫黄と硝石と木炭を混ぜて水を注ぎながら圧輪で挟んですりつぶして作ります。
圧輪は大きなものでは直径3メートルくらいもある石です。
記念碑の圧輪は大理石製で、幕末に船でヨーロッパから運んできて、1903年まで実際に火薬製造に使われたものです。

これを運んだのが幕臣だった澤太郎左衛門で、1862年に幕命でヨーロッパに渡ります。
近代的な火薬製造法の習得と製造機械の購入が任務です。

しかし当然ながら火薬製造は軍事機密であり、なかなか教えてもらえませんでした。
初めは渡航先のオランダの工場に行きますが断られ、隣国ベルギーの工場に行きますがここでも見学すらできません。
そこで澤は、なんと一職工となって工場で働き、そこの職工長と仲良くなって製造法を習得し、さらに工場長とも親しくなって圧輪など製造機械の購入に成功します。
持ち帰った機械は幕府が建設を計画していた火薬工場で使う予定でしたが、帰国時にはもう幕府は青息吐息で工場建設も沙汰止みとなり、まもなく戊辰戦争となって澤は榎本武揚らとともに北海道に渡って戦います。

しかしのちに新政府許されてこの工場建設にも関わります。

こんなすごい人がいたんですねえ。

碑の建設は1922年です。
真ん中の圧輪の中央にある丸を4つ組み合わせたマークは当時の東京砲兵工廠の印です。