目黒の陸軍境界石 | 黒田 涼と江戸を歩く

目黒の陸軍境界石

大軍都・東京を歩く 」発刊記念、
23区内の陸軍境界石シリーズ、第33弾です。
(境界石とはなんぞやは→こちら

目黒駅西口を出ると、山手線に沿って南北に道が走っています。
その道を北へ、渋谷方面に進んでください。

まもなく右側に自動車教習所があります。
その敷地外に、「三田用水」の解説板があります。
江戸時代、この付近を玉川上水から分水された三田上水が流れていました。
主に農業用水として利用され、明治になっても使われていました。

用水路は解説板そばの信号のある交差点、左の道から流れていました。
今は埋められてしまいました。

ここでその三田用水が流れてきた側、左側に渡り、目黒駅からの車道をさらに進むと神社があります。
その次の路地を左に入ってください。
どんどん進んで行くと、右側に下る細い階段があります。
手すりがついていますが、ものすごく狭いので見過ごさないように注意してください。
その左下足元、階段の途中に立っています。

「陸軍」の「軍」の字が半分埋もれています。














下から見るとこんな感じです。





この先、大きな自衛隊駐屯地があるのですが、ここは明治維新直後から軍の施設がありました。

当初は三田用水の水力を使った火薬製造工場で、のちに主に海軍の技術研究所ができます。

やはり明治の初期には目黒駅を挟んだ東側に白金火薬庫があり、この石のある脇の道路は、この火薬製造工場と火薬庫を結ぶ小さな鉄道があったようです。
この境界石はその用地を示すものです。

白金火薬庫は1913年に皇室用地となって火薬庫は廃止されるので、この鉄道も大正時代にはもう地図上から消えています。
したがってこの境界石も明治から残った物のようです。

実はこの道路近くにもう一か所、境界石がありますが、これは完全に民家の敷地内なので詳細な場所を書くのは控えます。
写真も敷地外からの遠景です。

この駐車スペース奥の角に立っているのがそうです。
「陸軍用地」と書かれ、側面に番号も振られています。

書体や材質も似ているので、先の石も同じ様式だったのだと思います。





No.47 目黒の陸軍境界石A
所在地 目黒区三田2-3-11
表記 「陸軍(用地?)」

No.48 目黒の陸軍境界石B
所在地 目黒区三田2-6付近
表記 「陸軍用地」