北区・梅木小の陸軍境界石
「大軍都・東京を歩く
」発刊記念、
23区内の陸軍境界石シリーズ第16弾です。
(境界石とはなんぞやは→こちら )
「大軍都・東京を歩く 」ついに店頭に並びました。
自分の本が並んでいるのはやはりうれしいですね。
さて、前回は東京陸軍第二造兵廠周辺の境界石を紹介しました。
戦前はその北、現在の北区西が丘、赤羽西、桐ヶ丘などのあたりは、陸軍の兵器庫、演習場、軍服工場、火薬庫、工兵部隊駐屯地などがえんえんと広がっており、その中を軍用輸送鉄道が通っていました。
今回ご紹介する北区立梅木小学校はそのエリアのほぼ南端で、戦前は東京陸軍第二造兵廠とほぼ一直線に軍用道路でつながっていました。
その軍用道路が通っていたのが今の環七の姥ケ橋交差点です。
今回の場所はどこの駅からも遠いので、この交差点からご案内します。
この交差点はほぼ東西に走る環七と都道455号線本郷赤羽線が交差していますが、交差点の北側には、さらに3つもの分岐がある複雑な場所です。
その交差点北側には歩道橋があります。
歩道橋を北に過ぎて二つ目のやや広い分岐を右に入ります。
都道455号との分岐点にサッカーをする少年の像が建っています。
すぐ近くの西が丘サッカー場と関係があるのでしょうか?
入ってきたこの道は、明治初年に作られた赤羽根(昔はこう書きました)火薬庫道という軍用道路で、東京陸軍第二造兵廠と桐ヶ丘の火薬庫を結んでいました。
大して交通量のない住宅街の道ですが、妙に幅広で立派なのは軍が贅沢に作ったからです。
この道を進んでいくとつい先頃まで東京都立産業技術研究所の敷地だった場所が左側にあります。
おそらくまだ工事用囲いに覆われて、移転の案内が表示されているのでわかると思います。
そこで右に入ります。
この道に入って最初の信号の一つ手前の三叉路です。
すると突き当たりが梅木小学校の入口です。
道なりに左へ進むと学校敷地の際にあります。
やや上が欠けていますが「陸軍用地」とはっきり読めます。
ブロック塀の外に飛び出して立っていますので結構目立ちます。
この小学校の敷地は東京陸軍第二造兵廠で作られた火薬の性能試験などをする射撃場でした。
校舎裏側の壁や校庭の一部塀、少し南に離れた場所の塀など、旧軍時代の塀もかなり残っています。
周囲の住宅地の道が碁盤の目のように整然としているのに、ここだけ道が通じていないのは、かつてここが軍用地だったからです。
校舎の向こう側に行くには、えんえんと遠回りしないと行き着けません。
No.23 北区・梅木小の陸軍境界石
所在地 北区西が丘2-20-16先
表記 「陸軍用地」
姥ケ東京陸軍第二造兵廠橋という姥ケ橋
23区内の陸軍境界石シリーズ第16弾です。
(境界石とはなんぞやは→こちら )
「大軍都・東京を歩く 」ついに店頭に並びました。
自分の本が並んでいるのはやはりうれしいですね。
さて、前回は東京陸軍第二造兵廠周辺の境界石を紹介しました。
戦前はその北、現在の北区西が丘、赤羽西、桐ヶ丘などのあたりは、陸軍の兵器庫、演習場、軍服工場、火薬庫、工兵部隊駐屯地などがえんえんと広がっており、その中を軍用輸送鉄道が通っていました。
今回ご紹介する北区立梅木小学校はそのエリアのほぼ南端で、戦前は東京陸軍第二造兵廠とほぼ一直線に軍用道路でつながっていました。
その軍用道路が通っていたのが今の環七の姥ケ橋交差点です。
今回の場所はどこの駅からも遠いので、この交差点からご案内します。
この交差点はほぼ東西に走る環七と都道455号線本郷赤羽線が交差していますが、交差点の北側には、さらに3つもの分岐がある複雑な場所です。
その交差点北側には歩道橋があります。
歩道橋を北に過ぎて二つ目のやや広い分岐を右に入ります。
都道455号との分岐点にサッカーをする少年の像が建っています。
すぐ近くの西が丘サッカー場と関係があるのでしょうか?
入ってきたこの道は、明治初年に作られた赤羽根(昔はこう書きました)火薬庫道という軍用道路で、東京陸軍第二造兵廠と桐ヶ丘の火薬庫を結んでいました。
大して交通量のない住宅街の道ですが、妙に幅広で立派なのは軍が贅沢に作ったからです。
この道を進んでいくとつい先頃まで東京都立産業技術研究所の敷地だった場所が左側にあります。
おそらくまだ工事用囲いに覆われて、移転の案内が表示されているのでわかると思います。
そこで右に入ります。
この道に入って最初の信号の一つ手前の三叉路です。
すると突き当たりが梅木小学校の入口です。
道なりに左へ進むと学校敷地の際にあります。
やや上が欠けていますが「陸軍用地」とはっきり読めます。
ブロック塀の外に飛び出して立っていますので結構目立ちます。
この小学校の敷地は東京陸軍第二造兵廠で作られた火薬の性能試験などをする射撃場でした。
校舎裏側の壁や校庭の一部塀、少し南に離れた場所の塀など、旧軍時代の塀もかなり残っています。
周囲の住宅地の道が碁盤の目のように整然としているのに、ここだけ道が通じていないのは、かつてここが軍用地だったからです。
校舎の向こう側に行くには、えんえんと遠回りしないと行き着けません。
No.23 北区・梅木小の陸軍境界石
所在地 北区西が丘2-20-16先
表記 「陸軍用地」
姥ケ東京陸軍第二造兵廠橋という姥ケ橋