寝る子は育つ 江戸駄菓子

 江戸駄菓子 まんねん堂の「子」は

寝そべっています 初代が洒落好きで

     「寝る子は育つ」 の意から

  でも、本当は甘いものがなかった昔、

 駄菓子を食べてスクスク育ってほしい 

       そんな願いを込めて

 「今も昔も駄菓子は子供のためのお菓子」


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金花糖のおはなし③

金花糖は砂糖と水だけで作るとてもシンプルで、菓子の原型のようなもの

飴などと同一のように言われますが、飴は水飴を使っているから飴であって、金花糖とはまったく違う分野と思います。

 

そんな原始的な菓子である金花糖ですが、国内ではおよそ20件くらいが作ったり、作らなかったり

作ったり作らなかったりというのは、年間通じて作っているところは数件のみで、あとは注文があれば作ったり、季節祭事があると作ったり、その作ったりも、数年前は作ってたけど…といった状況です。九州(佐賀、鹿児島、福岡など)、石川、富山、新潟、東京、神奈川などで製造が確認されてますが、如何せんみなさんご高齢の方が多く、いまはどうなのか…わかりません。

2019年の「全国金花糖博覧会」開催時に集約したときは、新潟と石川、佐賀の金花糖を展示しましたが、その後、各地の製造状況がわかってきたりしました。それだけでも開催した意義があったと思えるほど貴重な情報でした。

 

 

新しいものが出来れば、古いものは少なからずや無くなっていくのは仕方がないこと。

昭和30年代、急速に世に広まったチョコレートなどの洋形菓子に趣向、売場、生産者も、変わっていきました。

今の残っているのは、地域祭事との関りや古き伝統を守ろうという気持ち、生産者の意地であったり。けして、金花糖だけで食べれるわけなく、片手間で守ろうとしている生産者の思いだけです。私もです。

 

どうにか金花糖を残したい…いつもそう思っております。

 

 

2023.03.09発売 「江戸ー東京 上野」記念切手

 私の作った金花糖の招き猫が採用されました

 

 

 

 

金花糖のおはなし②

もともと、まんねん堂は菓子の卸を主業としてます。

私の祖父である光平じいさんが、宮内庁御用達であった京橋の「萬年堂」に丁稚奉公に入ったのが大正お終わりくらいだと思います。

祖父は愛知岡崎幸田の出身の明治生まれ。十代そこそこで親元を離れ、遠く江戸に奉公へあがったのだから、苦労は想像を超えることと思います。嘘かホントかはわかりませんが、大八車で納品に行く途中に関東大震災に合い、三菱銀行の柱にしがみついて難を逃れたと…

昭和7年に深川で菓子の卸業として「萬年堂」の暖簾分けをいただき開業、その後、現在の台東区下谷に移りました。

大戦後、復員した祖父は物資不足の中、菓子販売を営み、当時は甘い物であればなんでもよく売れた…と言っており、下谷の近隣には数多くの菓子をつくる職人があり、それはたいそう活気があったと聞いております。

べっ甲飴に有平、金平糖にラムネ、せんべいにあられ。かっぱ橋の芝崎町や錦糸町には様々な菓子が作られていました。

そうした菓子屋さんは20年くらい前までは結構あったのですが、現在ではほぼ無くなってしまいましたね。

 

そんな菓子の中で金花糖がもっとも作られていた!

 

なんて、今では信じがたいことですが、昭和30年前半まではとてもポピュラーでメジャーな菓子だったのです。

 

写真は2019に購入した、小田原 栄光堂さんの金花糖

うちと同じ系統の木型をつかった、江戸前の金花糖 はいはい、犬張子、子持ち猫、招きねこ

ものすごく薄く作られてて、これが本物です 上手です 私には作れません

 

いまも作られてるのかな…近いうち行ってみようと思います

 

  

 

こわれてしまったお内裏様…泣

 

 

金花糖のおはなし①

ちょっと久しぶりに、私なりの金花糖の成り立ちなどを記載したいと思います

 

金花糖(きんかとう)は南蛮渡来の菓子としてポルトガルから伝わったという説、

中国から伝来したという説など諸説ありますが、

江戸後期、末期には江戸の街の流行菓子として、庶民も嗜められていたと思われます。

 

金花糖の面白いところは、扱われ方が年々庶民化していくところで(ま、考えてみれば菓子はみな同じかな…)

加賀100万石の献上として崇めら→めでたい席の菓子であったり、茶菓子として丁重に扱われ→縁起物として拝まれ→流行菓子としてもてはやされ→子供の茶請けとして食べられ→寄席や駄菓子屋のアテモノとして食玩の元祖になったり→しまいには、なんだ金花糖か…と扱われ

なんとも波乱万丈?な菓生をおくってまして、昭和30年終わるころには、チョコやクッキーなんかに、駄菓子のアテモノの座ですら奪われております。

砂糖が高価であった時代には、少量の砂糖で甘味を味わえる菓子として重宝され、また木型さえあればいろいろな面白い形状を作れることによって、子供たちはもとより大人でさえ、楽しんで窘められたのですから、その功績というのは、今では想像もつかないほど高いと思っております。

 

金花糖を作るのに必要なのは、砂糖、水、鍋、ガス…なによりも木型

 

金花糖の木型は打ち物の木型と違い、立体的な作りが特徴です。

「今でも木型を作っている?」とよく質問されます。正直、私のもっている木型はすべて中古の歴史的なものばかり。

新たに木型を作ろう…なんて思ったことありません。なぜかと言えば、間違いなく採算合わないからです。それに、新しい木型でしっかり作れるか?という疑念があるのも事実です。

 

 

写真は昨年末に壊してしまった、お内裏様の木型。背面です。

お雛様だけ作っても、なんか寂しいので、今年は製造をしませんでした。いくら多様性でもね…

お雛様の木型は全国でもこれしか現存してないと思います。

 

この木型をどうにか復活させたいと考えております。

 

 

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