百鬼夜狂 狂歌百物語集 その2
2026.2
これより、本書の前書き部分です。
(前書きの前)
天明癸卯夜深川(てんめい みずのとう よる ふかがわ)
妖怪百談歌百篇(ようかい ひゃくだん うた ひゃっぺん)
地是椀倉鬼一口 (ち これ 椀蔵=わんぐら河岸=地名 おに ひとくち)
食残多少狂歌連 (くいのこし たしょうぞ きょうかれん)
(天明五年1785年のある夜に、深川に集まって、妖怪についての百物語のような、百首の狂歌を詠む会を催した。椀蔵という場所で、狂歌を詠む者たちが集まったが、多少、怖さが物足りなかった。)
十人の 酬和(しゅうわ)の夜半(よわ)も
ふか川の 八幡かねと
なりにけるかな
(十人で、狂歌を詠みあったが、いつの間にか、深川の八幡様の鐘が鳴るような、早朝のころとなってしまった。)
蜀山人 (四方山人、大田南畝)
以上のえは、当方所有の広重の「江戸土産」のら引用しました。虫食いがひどいので、AIに加工してもらいました。
(前書き) (1819年の再版の序文)
「見越入道(みこしにゅうどう)」というものは、化け物の中でも親分のようなものであろう。
人を驚かせようという心があって出てくるのだから、入道になったのももっともなことだ。
思いがけず現れる「ろくろ首」は、これに似たものではあるが、首の細いさまは、まことに異様で、顔つきもさほど醜くはない。
雪女は幽霊とほとんど変わらぬもので、ただ足もとがはっきりしないことでそれと見分けられるという。
産女(うぶめ)は、子を産み損ねて死んだ女だというが、赤子を人に抱かせようとするなら、市中に出てくればよいものを。
どうしてそんな寂しい草原でさまようのだろう。
天狗というものこそ、格別に恐ろしい。
人をさらって、ほんのしばらくの間に、はるか遠くの山寺や、あるいはどこぞの神社まで巡礼させるという。
これに取り憑かれた人は、たとえ再び故郷に帰っても、すっかり呆けてしまい、わけのわからぬ様子になるという。
しかし、子どもの病などが急に治るのは、天狗からの伝えによるのではないかとも言われ、不思議なものである。
目に見えぬ鬼の顔を、紫式部が描いたという話もある。
同じ源氏の時代に、「羅生門」や「大江山」に鬼が棲んだというのを、最初に言い出したのは誰であろうか。
古塚の狐、深山の木霊は言うまでもなく、
猫またの立ち舞いや狸の腹鼓などを間近に見聞きしたら、髪の毛も逆立つにちがいない。
荒れ果てた院の庭に、よもぎや葎(むぐら)が高く茂って、人の住まぬあたりには、こうした化け物どもが、場所をわきまえて集まり棲んでいるという。
丑三つ時ごろには、いろいろな姿のものが現れる。
たとえば、女の童子が、金だらいを台にしてそれを打ち鳴らしていると、やがてその器がぱっと開いて、舌の長いものが現れる。それは、見るもおそろしい、めずらしい妖怪である。
また、夜のお参りをしようと手探りでやって来た盲目の法師のかたわらに、うずくまっていたものが、
にわかに立ち上がって背を高く伸ばし、格子天井に届くほどになって、目を見開いてにらみつける。
これもまた、いかにも恐ろしい。
大きな女の頭が、髪を乱して屏風の上から顔をのぞかせ、ほほと笑う。
また、「かぶろ」のような童女が、竹笠をかぶって足駄を履き、膳に豆腐をのせて運んでくる事もある。
あるいは、火桶を蹴って、手足をばたばたさせて走り回る。
そうかと思えば、次の瞬間には「すりこぎ(擂木)」に羽が生えて、西へ東へと飛び交う。
そのほか、由緒ある邸の中にある調度品や道具に目や鼻がついたのは、なお、気味が悪い。
これらの姿は、今の世の絵草子(絵本・絵巻)にも、その形が見てとれる。
このような妖しき化け物の名を数えあげて、戯れの歌に詠み込んだのは、いつの頃であったであろうか。
当時集まった人々も、今ではほとんど亡くなり、三、四人ほどが残るだけである。
さても、老いの身となった今、かつて盛んだったあの頃を思いめぐらせると、自分自身までも、何やら「変化」になったような心地がする。
もし化け物どもが、今もここにいたならば、きっと自分もその一群の中に数えられてしまうことだろう。
まことに、白髪を振り乱して身を震わせる自分の姿は、我ながらもぞっとする。
若い者が目を合わせず、すぐに立ち去って逃げるのも、なるほど道理だと思われることよ。
文政二年(1819年)四月
六樹園飯盛(ろくじゅえんめしもり:宿屋飯盛)

