会津の化け猫 その2  老媼茶話 
原題は「猫魔怪」
                                 2026.9


加藤明成(1592~1661:会津若松藩主)の藩士に、平田庄五郎(知行五百石、馬場囗に住す)と言う者がいた。その老母は、孫や子よりも猫を大変に愛していた。ある年、諏訪の社(福島県会津若松市本町)へ詣でて、焔魔堂(えんまどう9の松原にて赤毛の猫を拾った。大いに悦び、家へ帰り、大事に飼った。
その猫は、どこかに行ってしまった。

それから、間もなく庄五郎の母は、目をわずらい、明かるい所を嫌い、いつも暗い所に住んだ。
庄五郎は、目医者に見せて、治療をしようと言ったが老母は、拒否した。
老母のそば使えの女中が、続いて二人までが、行方不明となった。行方を探したが、見つからなかった。ある時、下男が裏の畑を耕すと、土の中から衣裳の裾が見えたので、不思議に思い、深く掘って見た。すると、行方不明になったと言う下女二人の衣裳が、血に染って、寸々に食い裂かれて埋め置かれたものであった。生々しい骸骨も有った。大いに驚き、急いでこの衣裳を取り持ち、主人の庄五郎に告げようと、家の内へ入ろうとした。その時、老母がどこからともなく駈けて来て、その衣裳をもぎ取り、「お前、この衣裳や骸骨の事を、庄五郎に告げたら、すぐに食い殺すぞ。」と、大いに怒った顔つきで、眼は大きく、囗は広くあけ、さもすさまじい気色であった。それで、下男はふるいわなないて、それより病気だと偽って、庄五郎から暇を取った。
その後、誰言うともなく、庄五郎の母は猫又であると、おおいに噂になった。
庄五郎の隣に梶川市之丞と言う侍、ある朝方、遠乗りに出ようとして表を見ると、庄五郎の老母が、囗のまわりを血みどろにして、門はまだ閉ざされていたが、ひらりと塀を躍こえ、表に出て、前の流水にて囗をすすいでいた。
興徳寺(会津若松市栄町)前の山高忠左衛門の飼っている黒犬が、さっと飛んで来て、老母の左の腕にくらい付いたのを、老母は犬を振りはなって、又高塀を踊り越えて家の内へ入っていった。
梶川は、これを見て、さては猫又が老母に化たのに疑いないと思った。その夕べ、庄五郎を呼んで、今朝見た有様をこまかに語った。
庄五郎は、このことを聞いて、さては疑いもなく、猫が我が母を喰い殺し、老母に化けたるものだ。我が母は、常々後生を願って朝夕仏へむかって読経をしていたが、去年の夏より仏に香花を手向ける事はなく、目にわずらいがあると言って、日の光を見る事を嫌い、暗い所にいて、終には私にも顔をあわせなくなった。思うに、猫は目の玉が一日の内に、細く広く変わるので、私に対面する事を嫌ったものだろう。
それなら、犬をけしかけて見ようと、強そうな犬を四五匹借り集めて、老母が住んでいる部屋へ放し入れるた。四五匹の犬どもは、老母を見て吠え怒り、飛びかかって、首骨手足腰腹へ思い思いに喰らいついた。
すると、老母は正体をあらわし、恐ろしげな赤猫と成り、四五匹の犬どもと暫くかみ合ったが、ついには、散々に喰い殺された。
これは去年、庄五郎の母が諏訪神社へ参詣した折に、焔魔堂(えんまどう)のあたりより拾って来た猫が、老母を喰い殺し、その上に庄五郎の母に化たものであった。

赤猫は、金花猫(金華猫:きんかねこ:化け猫)と言って、永く飼ってはいけないものだ。