百鬼夜狂 狂歌百物語集 その16(後書き)
百鬼夜狂後書き
2026.4
いかめしい鬼が鉄棒をもっていて、提灯と釣り鐘を担いでいる図に対して
紀 定丸
七尺の 鉄棒も 荷はば(になわば) などかきれ(切れ)ざらん
虎のふんどしも 引かば などか きれざらむ
(七尺210cmの鉄棒も肩に掛けていたら、切ることも無いだろう。鬼のはいている虎皮のふんどしも、引っ張らなければ、切れないだろう。)
苦と薬は 恋の重荷の うらおもて
忍びてうちん(提灯:しのびて打ち) 暁の鐘
この歌は、その昔に、私が作者にたのんで、書いてもらい、我が家に秘蔵しておいたものであるが、
ここに、書き加えることにした。
文政己卯(文政二年つちのとう:1819年)春 耕書堂主人(蔦屋重三郎)
跋
雀が海の中で化けて蛤となり、鷹が変じて鳩に化ける。
若い娘が芸者に化け、花嫁が姑に化けるのは、いつもの化けものだ。
南瓜(かぼちゃ)や唐茄子(なすび)に化けるのも同じこと。
薩摩芋が笛吹きに化けたのも、とうの昔の化けものだ。
近ごろは、俳人はもちろんのこと、詩人・文人・歌人までも皆そろって狂歌師に化け、
舌は稲妻のようにすばやく(舌鋒鋭く、皮肉を言ったり、物事を斜めに見たりする)、
鼻は天狗のように高い(つまりは、うぬぼれて、威張っている)。
この化けものども(狂歌師たち)に出くわしたら、孟賁(もうほん:中国の勇士)の勇気もくじけ、
晏嬰(あんえい:中国の賢臣)の知恵も生ぬるく感じるほどだ。
(注:この文章からうかがうと、江戸時代の狂歌師たちは、大変人気があったようで、今で言う芸人たちの人気に通ずるようなものであったのでしょう。それで、「俳人はもちろんのこと、詩人・文人・歌人までも皆そろって」狂歌を読むようになったのでしょう。そして、人気が出るとうぬぼれて、世間からヒンシュクも買っていたのでしょう。これも、現代に通じますね。)
四角かった顔は、かえって丸くなって、角が目立つ頭の角はぽきりと折れ、聞く者の腹を抱えて笑わせる。彼らは、まことに、政治がうまく行われて、民衆が腹鼓を打って歌うような、良い治世の民である。
(古典には、優れた帝王の治世には、国民は「鼓腹撃壌」したとあります。)
箱根より東では、これほどめでたい化けものはあるまい。
(「箱根より東=江戸には、野暮と化け物はいない」との言葉がある。)
かつて「夕顔の君」を隠したあの何某院のような雅な所ではなく(源氏物語を踏まえている)、
荒れ果てた家の林立つ木々も古び、人の気配もない場所に、例の化けものたち(蜀山人、蔦屋重三郎、その他の狂歌を詠む数寄者たち=自分たち)がより集まって、
一晩中、狂歌を百も詠み交わす「百物語」を催した。
それを書き留めて一冊にまとめたのがこの書である。
その巻末に「化けもの祝い」の詩を詠(よ)めと、
化けものどもの首領で、世に(四方:四方赤良に書けている)名高い「だいだぼち(ダイダラボッチ=伝説の巨人だが、大田南畝蜀山人四方赤良の事)」が言い出したので、
唐衣橘洲(からころも きっしゅう)が次の歌を詠んだ。
くわっと開く 大の眼(まなこ)に かかる世の
千代のさかへ(栄え)や みこし入道
(訳:「見越し入道」よ。カッと大きな目を開いて、この世の栄えを見ると良い。)
松にほれて
とし(年)のふけ(老け)ひの 老鶴も
遊びに通ふ きのわかの浦
狂歌堂(鹿津部真顔)
(松の木を気に入って、年老いた鶴も、紀伊の和歌の浦に、遊びに通って来る。)
この『百鬼夜狂』という書は、むかし天明五年(1785年)に刊行され、世に広く知られていた。しかし、20年程過ぎて文化二年の四月の大火に被災して、板木の半ばが焼失してしまった。
しかし、いまになって再び求める人が多く盛んなため、このたび欠けていた部分を補い、
さらに、今の時代に名を知られた四人の名士に、序文や詩歌を依頼して加えた。
この本に収められた作者は全部で十六人。
その多くは、すでに亡くなって泉下(せんか:あの世)の人となったが、
現存の四人の名士に筆の労をわずらわして、再び世に出すこととなったのである。
文政三年(1820年)五月
耕書堂主人 二代目 蔦加良磨(つた からまる)誌(しるす)。
日本橋小伝馬町三丁目 蔦屋重三郎 刊
「百鬼夜狂」は、以上で、終了です。
注:挿し絵は、主として、
手元にある、 「尾形月耕画集」より取って、AIに加工してもらいました。


