<2024年6月22日>
昨日は久々の旧道街道歩きへ行ってきました。
かわいいトリさんを置いて遠方へは行きづらいので近場の街道へ。
2010年~2011年にかけて歩いた暗越奈良街道を再び歩くことにしました。
14年前は街道の里程元標のある高麗橋から出立したのですが、暗越奈良街道の起点が高麗橋とされたのは明治になってからだそうで、今回はそれ以前の起点であった玉造からスタートすることとしました。
JR環状線の玉造駅を降りてやってきたのは、起点ではなくこちら玉造稲荷神社。
お伊勢参りが盛んだった江戸時代には玉造稲荷神社で道中安全を祈願してから旅立った人が多かったとのことで、当方もそれに倣って足を運んだしだいです。
ちなみに伊勢までは暗越奈良街道→上ツ道→初瀬街道を経由し参宮街道で到達するというルートで、時間をかけましたが伊勢まで踏破しております。
14年前にはここへは来てなかったのでお参りできてよかったです。
境内にはこんなものも。
阪神大震災で被災した豊臣秀頼が奉納した鳥居の上半分が残されてました。
そのはるか昔の古代にはこの地で勾玉を造る玉作部の集団居住地。
多彩な歴史を持つ地から出発します。
まず神社の鳥居を出たら南へ下っていき、突き当りで14年前に歩いた高麗橋からの道(青矢印)へ左折します。
(2010年は→ 暗越奈良街道①(高麗橋→新深江) | Eddie's Diary (ameblo.jp) )
国道308号線に入り、JR大阪環状線玉造駅前を通過~。
駅のすぐ先が古き時代の暗越奈良街道の起点、二軒茶屋跡です。
国道から旧道へ分岐していきます。
商店街の風景は14年前と全く変わってませんね。
商店街の脇にあった地蔵堂。
お地蔵さんに字が刻まれてるのをわずかばかり確認できました。
旧道を抜けて直進ですが、国道が斜めに交差してるので素直には進めません。
国道を越えるとこんな感じ、旧道風情はありません。
「暗越奈良街道 距高麗橋元標壱里」
高麗橋からの距離を示した石標なので明治になってからのものです。
古い時代からの道ですが大阪市は戦災に遭ってますので古民家はほとんどありません。
いわゆる普通の住宅街の町並みが続きます。
今里筋を越えてさらに東へと進んで行きます。
蔵のある場所には古い町名表示板が残ってました。
再び国道に戻る交差点、右手の木の方向に移設した道標があります。
14年前は見落としてたのでしっかりチェックいたしました!
江戸末期の文化三年の道標
「右 志ぎさん 久はんぜをん きしのだう 久宝寺 八尾 道」
今は直線となった国道308号線の街道、古地図ではいくらかくねって進んでいました。
それにしても陽射しが暑い....。
午前曇りで午後雨との前日の予報でしたが、予想外の好天となってしまいました。
2010年はここ新深江駅で区切り、翌2011年に続きを歩きました。
昨日は新深江で短く区切らずそのまま内環状線を渡って先へ進んだのですが、1回でまとめるにはビミョーに写真が多いのでここで一旦ブレイクとさせていただきます。
後半はまた後日~