本日、2023年10月31日
さて、最近SNSや専門家などでハマスの背景にはイランと言われているようです。
結論からいうと、ハマスのバックはイランではありません。
ハマスのバックはイスラエルであり、米国です。
詳しくはこちら↓のブログを御覧ください。
私達は、西側からの情報しか知らされていません。
あまりにもこの「西側」の情報に「嘘」が多いことは否めません。
本当なのか、嘘なのかの判断は、当事者の言い分も聞くというのが私のスタンスです。
双方の当事者の言い分を聞いた上で、判断するということです。
ところが、残念なことに、多くの日本人は偏らず、情報を取ろうとして、ネットだけでは、偏るからと言って、新聞やテレビも見ておこう、そしてSNSもなんて言う人が多いのですが。そうではないんです。
東からの情報をダイレクトに取得しなければ、偏るのです。
そこで、私は常に東側の情報を直接当事者国からも聞いてます。
毎日のようにチェックしています。
当事者国のニュースはもちろんですが、当事者国に住んでいる一般の人からのSNSの情報も参考にしています。
そうすることで偏らない情報を手に入れることができます。
この東側と言うのが、ロシアであったり、イランであったりです。
今のところ東側からの直接の情報から分析する限り、イランは最近になってハマスとコンタクトを取り始めていますが、元々はハマスとは何の関係もありません。
何で、米国はハマスの背後にイランがいる!と言うのでしょうか?
それは、歴史を見れば一目瞭然です。
悲しいことにやはり「石油」から始まります。
1901年にイラン南部でイギリス人のウィリアム・ダーシーという人物が、最初の油田を発見します。
ダーシーは、イラン南部で「アングロ・ペルシャ石油会社」を設立します。
翌年にはウィリアム・ダーシーは、石油利権を所有します。
イランは石油の産出地として注目されるようになり、さらに1913年、イギリス海軍が艦船の燃料を石炭から石油に変えていきます。
1914年から第一次世界大戦が始まります。
さらに第一次世界大戦で石油の需要は急速に伸び、イギリスはイランへの支配を強めていきます。
当時のイランは、トルコ系の王朝「カジャール朝」が実質的な支配権でした。
しかし 第一次世界大戦が始まるとオスマン帝国軍が侵入、ドイツ軍も諜報活動を展開し、イギリスも中立地帯に出兵となり、これらの情勢にカージャール朝政府は対応出来ず、無政府状態でした。
1921年、クーデターを起こります。
1925年には自らシャー国王と称し、パフレヴィー朝が始まります。
パフレヴィー朝シャー国王の時代は、100%イギリスの傀儡政権でした。
パフレヴィー朝は、1935年3月には正式な国号をイランに変更しました。
またウィリアム・ダーシーの石油会社も「アングロ・イラニアン石油会社」に社名変更します。
イランは石油の産出国であったため、欧米列強の関心を強めていきました。
第二次世界大戦中、イランは首都テヘランを中立地帯として、北方の5州をソ連が、南方の諸州をイギリスが管理するという、南北分割下に置かれていました。
第二次世界大戦が終わるとイギリス軍やソ連は撤退しましたが、イギリスの国際石油資本であるアングロ・イラニアン石油会社がイラン油田利権の独占に成功します。
1941年までにイラン国内では、5つもの油田が発見され、開発が進みます。
当時、イランの使用許可手数料は16%しかなく、利益配分に対してイラン国民は不満が広がっていきます。
そんな中、イランでは、モサデグを中心として民族主義運動が高揚し、民主的選挙でムハンマド・モサデグが首相に就任します。
首相に就任したモサデグは1951年5月に石油国有化を断行します。
しかし1951年から1954年にイランがアングロ・イラニアン石油会社の資産を国有化したことで、アーバーダーンにある石油生産設備から西側諸国を追い出したこともあり、イギリスは報復措置に乗り出します。
これを「アーバーダーン危機」と言います。
イギリスは、イランの石油を世界の市場から締め出そうと動きます。
世界の石油会社にイラン石油へのボイコットを働き始めます。
そして、イラン石油は国際石油資本から締め出されてしまいます。
それにより、イランの経済は疲弊していきます。
一方、イギリスの外相ハーバート・モリソンはイランの政権転覆のための策略を検討し始め、アメリカにムハンマド・モサデグを失脚させるために支援を依頼します。
それが、「アジャックス作戦」と言われるものです。
これは、アメリカ諜報機関のCIAとイギリスの諜報機関MI6の極秘作戦です。
モサデグらに追い出された、パフラヴィー朝の2世モハンマド・レザー・シャーと組んで、モサデグが首相の政権転覆を謀ります。
まずやったのが、メディア、宣伝ビラを活用したプロパガンダを行い、その後、買収したイラン人達にクーデターを起こさせることでした。
このクーデターは成功し、1953年8月には、モサデグ首相は失脚。
首相の失脚後、新たな首相に即位したのが、ザヘディ首相。
ザヘディ首相は、CIAとMI6から500万ドルの資金援助を受け、米英の100%傀儡政権となり、パフレヴィー朝2世モハンマド・レザー・シャーが返り咲きます。
CIAが関与していたことは、2013年のCIAの公文書公開で事実であることが明らかにされています。
イラン国内は、英米が中心とする国際石油資本による石油資源の支配が強まっていきます。
それにより、社会改革の遅れなどからイランの経済的困難は強まり、また専制政治のもとで腐敗が進行していきます。
アメリカの犬であるイランのパフレヴィー2世は、アメリカの言われた通りに、土地改革(農耕地の分配、森林国有化)、女性参政権、労働者への利益分配、国有工場払下げなどの6項目からなる「白色革命」プログラムを国民投票にかけます。
1963年政府の不正介入により、90%の賛成で実行に移していきます。
一方議会は停止され、パフレヴィー2世皇帝の独裁的な権限はさらに強化されていきます。
「白色革命」以来、政治、文化、日常生活などあらゆる面で西欧化を進めていたが、国民生活は向上せず、対米従属の度合いを増していきます。
この強制的な「白色革命」に反対する学生運動やシーア派法学者の運動が起こり、各地で民衆の蜂起が始まります。
しかし厳しく弾圧され、その指導者ルーホッラー・ホメイニーは逮捕され国外追放されることになります。
1979年に「イラン革命」が起こります。
1979年2月11日、ルーホッラー・ホメイニーが政権を掌握することになります。
それにより、ようやく石油利権を取り戻します。
しかし翌年の1980年からイラン・イラク戦争が始まります。
そして、1989年にルーホッラー・ホメイニーは亡くなっています。
イラン革命後は、戦争があり、孤立化していきます。
1988年、イラン・イラク戦争終結後の新外交政策は、欧州連合との関係では主要な石油の輸出先としてイタリア、フランス、ドイツなどとの関係が大いに改善していきます。
また、中国やインドはイランの支援国となっています。
中国、インド、イランは世界経済において類似の問題、すなわち工業化とそれに伴う多くの問題に取り組む国家であり連携を深め始めていきます。
ロシアや周辺諸国など、定期的外交関係および通商関係も維持していくようになっていきます。
イランおよびロシアは、中央アジアおよびザカフカズの開発、特にカスピ海エネルギー資源に重要な国益が賭けられていると考えており、現在では、両国関係の基軸となっています。
最近では、イランは、BRICSに加盟しています。
アメリカにとって、昔のように何とか、石油の利権を取り戻したいでしょうし、中国やインド、ロシアと仲良くされることも懸念材料になっています。
アメリカにとって、イランは許せない国なんだろうと思います。
歴史から見ていくと、どんな無茶苦茶なシナリオであろうとも、アメリカは、最終的にはイランを叩きたいことが見えます。
イランだけではなく、ロシアも叩きたいのだろうとも思います。
要は利権。そのためならどんなシナリオでも作るのが彼らの目的です。
