本日、2023年11月3日
さて、先日までハマスについて書きました。
今回は、レバノンにあるイスラム教シーア派武装組織について話をしていきたいと思います。
SNS上では、占領されているガザ地区で行われている攻撃模様の動画や画像が投稿されまくっている状況です。
この投稿内容ばかり見ていると、物事の本質を見失いがちです。
どうしても人間は、感情で動くようにできてますから、悲惨な動画などを見れば見るほど、怒りや悲しみなどが沸き上がってきます。
そして、そのSNSを投稿しているインフルエンサーなどに冷静な投稿をすると「逆切れ」されることも、しばしばあります。
それは、さておき、
専門家連中は、ハマスのバックにはイランだ!と言う人がおられます。
いやいや、ヒズボラのバックにイランだ!と言う論者もいるでしょう。
はい、結論から申し上げます。そういう専門家は、相当お金をもらっている人か、中東情勢の本質がわからない専門家と言っても過言ではないでしょう。
私は、現在、直接にイランのニュースから情報を得ています。
イランのIRNによりますと、イランの最高指導者ハメネイ師は、イスラム諸国政府が主張しなければならないのは、ガザにおける犯罪の即時停止であると言っています。
また、ハメネイ師は、戦いはガザとイスラエルの間ではなく、真実と虚偽の間、信仰の力と傲慢の力の間にあるとも述べています。
↓これは、数日前にXに投稿した内容です。
https://x.com/bs_fbo/status/1719667815731577081?s=20
その他にもイランでは、アブドッラーヒヤーン外相が積極的にガザ地区における停戦に向けて行動しています。
https://x.com/bs_fbo/status/1719091538851164550?s=20
https://x.com/bs_fbo/status/1719091538851164550?s=20
ところが、ヒズボラのやっていることは、真逆なんです。
イタリア人のジャーナリストが投稿していました。
↓
https://x.com/bs_fbo/status/1720244564131537374?s=20
ここで、ヒズボラの動きを見ていない人には、わかりづらいかと思いますので、簡単に説明しておきます。
ちなみに、ハマスとヒズボラは、違うテロ組織となります。
ヒズボラは、レバノンを拠点に活動するシーア派組織ですが、ハマスはパレスチナ解放機構(PLO)が進める和平に対して反対しているパレスチナにあるテロ組織です。
最近良く聞く「アル・カッサム旅団」もハマスとは異なるテロ組織ですが、パレスチナに存在する武装組織です。
ハマスについては、こちらのブログに記載していますので、御覧ください。
https://x.com/bs_fbo/status/1718949888069865773?s=20
時系列から話して行くと
イスラエル軍は10月9日、隣国レバノン南部をヘリコプターで攻撃していると発表し、ヒズボラは声明で構成員3人が死亡しています。
その後、交戦が続きます。
Xに一旦、攻撃内容をまとめています。
👇
https://x.com/bs_fbo/status/1718949888069865773?s=20
ヒズボラの最高指導者であるナスララ議長の演説は本日のようです。
さて、今度は簡単にヒズボラに関わる歴史についてです。
レバノンはしょっちゅう他国から侵略を受けている国です。
第一次世界大戦前は、オスマン帝国の支配下にありました。
戦後は、オスマン帝国の支配から解放されましたが、セーヴル条約でフランスの委任統治領のシリアの一部とされてしまいます。
1941年にシリアから分離し、1943年にレバノンとして独立しました。
最初の大統領は、キリスト教マロン派から、首相はイスラム教スンニ派から、国会議長はイスラム教シーア派から出すこととし、国会議員の議席割合もキリスト教徒とイスラム教徒が6:5に規定されてバランスをとることとなりました。
レバノンには、キリスト教徒も多かったわけです。
これを「宗派主義制度」といわれ、事実上、キリスト教徒に有利な取り決めでした。
レバノンは宗教各派の勢力の均衡をとりながら、西欧型の経済を発展していきます。
ところが、1948年に隣接する南部にイスラエルが建国されます。
イスラエルからパレスチナ難民がレバノン領内にも移住し始めてきます。
1958年、レバノンで暴動が起こります。暴動の原因は、パレスチナ難民は関係なく、
レバノン内での宗教による派閥の内乱ではないかと言われており、アラブ人が起こしたとも言われています。
1970年、パレスチナ解放戦線(PLO)がレバノンのベイルートに拠点を移し、レバノンの政治に大きな影響を与えるようになっていきます。
特にキリスト教マロン派とイスラム教徒であるPLOは相容れないものがあり、両者は、度々武力衝突を重ねていきます。
ついに1975年、マロン派の民兵組織ファランジュ党(ファランヘ党、ファランジストともいう)とPLOが本格的に衝突し、レバノン内戦に突入していきます。
隣国シリアのアサド大統領はレバノン内戦に介入し、内戦は複雑な宗教、民族対立を背景とした国際紛争化していきます。
さらに1982年イスラエルはベイルートにあるPLO本部をたたき、パレスチナゲリラの活動を封じるという目的でレバノン侵攻を実行していきます。
このとき、キリスト教マロン派の右派民兵組織(ファランジュ党=ファランジスト)がパレスチナ難民キャンプを襲撃し、虐殺事件を引き起こし、国際的な批判が高まっっていきます。
しかし、PLOはチュニジアにに退去しパレスチナにおける指導力を失っていきます。
イスラエルは、国連安保理の撤退決議にもかかわらずレバノン南部占領していきます。
イスラエルは1985年には一方的に「安全保障地帯」を設けて、その後も駐留を続けます。
そしてヒズボラが出現してきます。
ヒズボラは、1985年2月に組織として発表。
レバノンに駐留するイスラエル軍及びその同盟国に対し、武力による抵抗を宣言するとともに、その延長として、イスラエルの殲滅、レバノンでのイスラム国家の樹立等を主張し、武力による抵抗活動を開始。
1990年にはシリア軍もレバノンに侵攻して来たため、イスラエル軍は後退します。
イスラエル兵の死者が増加していき、2000年5月にイスラエルはレバノンから撤退することになります。
その後もイスラエル兵とヒズボラの戦闘は何度か起こります。
しかし次第にヒズボラが優勢となり、レバノン南部を実効支配するようになっていきます。
ヒズボラは実効支配地位からイスラエルに対してミサイル攻撃を行い、イスラエルもまた報復空爆をするということが繰り返されており、
2006年にはヒズボラがイスラエル兵を拉致したことをきっかけに、イスラエルは再びレバノン南部に侵攻(2006年のレバノン侵攻)しましたが、国際世論の反発から停戦に応じています。
それが、最近また始まったというのが今の状況のようです。
ヒズボラはハマスと同様に武力組織です。
しかしレバノン政府や国際社会が求める武装解除にも応じず、現在もレバノン南部を実効支配し、住民に病院や学校を提供し、事実上独立した「ヒズボラ国」の状態となっていてレバノン政府の力は及ばないのが現実です。
ヒズボラは宗教指導者ナスララ師のもとで、イスラエルの空爆犠牲者の遺族の保護、病院や学校以外にも町の清掃事業など住民に密着した活動を行い、住民の強い支持を受けているのも事実で、ハマスも住民からの強い支持があるところは似たような活動をしていると言って良いでしょう。
そもそもこの「ヒズボラ」の指導者層の多くが聖職者であったことから、活動開始当初、レバノン国内のモスクを活動拠点にしていたそうです。
こうした「ヒズボラ」の聖職者の多くは、1960年代から1970年代にかけて、イスラム教シーア派の聖地であるイラク南部・ナジャフで教育を受けたという情報があります。
イラクのシーア派の指導者で、反サダム・フセイン組織のひとつにイラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)というのがあります。
このSCIRIの指導者でムハンマド・バーキル・サドル(2003年死去)で、反体制派(反サダム・フセイン)であったため、1979年にイラクからイランに亡命しています。
しかし2003年にサダム・フセイン打倒のためにイランから帰国しています。
この指導者はアメリカ寄りではないのか、とも言われています。
ちなみにこの指導者のムハンマド・バーキル・サドルは、イラク南部・ナジャフ出身です。









