本日、3月12日

 

さて、今日は興味深い情報がSNSに入ってきました。

2022年3月20日に書いたブログで生物化学兵器研究所がウクライナに存在する記事をお伝えました。

その生物化学兵器研究所に関する投稿です。

 

生物化学兵器研究所が存在することが分かったことで、新型コロナの研究をやっていたのではないかと言う憶測が飛び交うことにもなり、ペンタゴンは、火消しに必死です。

 

 

生物化学兵器研究所は以前から、武漢だけではないことはわかっていました。

陰謀論的に言うと、彼らの人口削減計画には、必要不可欠な研究所でもあるわけですから、戦時のために研究しておかなければならないでしょう。

 

しかし、ウクライナにある生物化学兵器研究所は、特定の民族を狙うと言うのが、気になったのです。それも「スラブ人」を狙う意味が。

 

 

 

そこで、早速調べてみました。しかしこれは、結構根深いようです。

本当に、極東に住んでいる我々、日本人からは、彼らの歴史や文化はなかなか理解できない面もあります。

 

なので、少しずつ紐解いていくしかありません。

 

スラブ人をWikipediaで調べますと・・・

 

 

このようになっているようです。

地理に詳しくない方にでもわかるように、現在の地図も載せておきます。

 

 

 

ウクライナ人をWikipediaで調べますと・・・

ウクライナ人(ウクライナじん、ウクライナ語: українці [ウクライィーンツィ])は、ウクライナの主要民族である。東欧の東スラヴ人に属し、主にウクライナ語を母語とするものが多い。

 

東スラブ人系統は、現在のロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人のようです。

ただ、純粋ではないようです。

 

その他、西スラブや南スラブもあるようですから、東欧に多く存在する系統と考えられます。

 

しかし、何故「スラブ人」を特定しているのか?ですよね。

 

これは、歴史を見ていくしかありません。

 

そこで、歴史の舞台で良く出て来る民族主義、まず上がって来るのが、「ナチスドイツ」では、ないでしょうか?

 

しかしご存じの通り、「ナチスドイツ」は「スラブ人」ではなく、「ユダヤ人」を狙い撃ちしていたのが有名です。

 

そこで私はこの「ユダヤ人」に焦点を絞って調べることにしました。

 

度々私のブログでも出て来るジョージ・ソロスは、ユダヤ人でもありますし。

 

そこで、こんな記事が目に入りました。

 

この記事は、2014年のマイダン革命(ウクライナ騒乱)の時に書かれた記事のようです。

 

 

 

この記事の中に一部気になる部分を抜粋します。

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ウクライナや旧ソ連圏の多くの地域では常に反ユダヤ主義が存在していました。〝ロシア、ウクライナ、バルト諸国及びユーラシアにおけるユダヤ人を支援する国際会議〟という団体の理事マーク・レヴィン氏は、こう強調します。「残念ながら反ユダヤ主義は引いては寄せる潮の満ち引きのように、今もウクライナに存在している。」

実際、ウクライナにおける反ユダヤ主義は根深いものがあり、17世紀に50万人のユダヤ人大量殺害が記録されています。東欧諸国における集団的ユダヤ人迫害行為(殺害・略奪・暴行・差別等)を一般に「ポグロム」と呼びますが、そのポグロムが最初に起きたのもウクライナであると言われています。

第二次世界大戦中は反ユダヤの流れがさらに激化。1941年、ウクライナ西部の都市リヴィヴで、市民がユダヤ人を路上で殴打、暴行、女性は公衆の面前で裸にされ侮辱されるというリヴィヴ・ポグロムが発生。このとき2〜8千人のユダヤ人が殺害されました。また南部オデッサでは、同年3日間で10万人のユダヤ人が無慈悲に殺害されました。同様の事件は後を絶ちません。残念なことに、ウクライナでのこうしたポグロムはしばしばロシア正教会によって支持されていました。

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良く、「ナチス・ドイツ」がユダヤ人を迫害していたと歴史では、言われていますが、

実際は、ナチスより、ユダヤ人に対しての迫害はこのロシア地域の方が昔から酷かったようです。

 

ここに出て来る言葉に「ポグロム」とありますが、これは、ホロコーストのロシア語です。

このポグロムについて調べていきますと17世紀のウクライナでは、コサックのフメリニツキーの乱でポグロムでが起こっており、犠牲者は計り知れないほどだったそうです。

 

コサックとは、ウクライナと南ロシアなどに存在した軍事的共同体だと言われています。

 

16世紀頃の初期のコサックは、没落した欧州諸国の貴族と遊牧の盗賊によって構成され、河川が豊かな土地を有する自治共同体を編成し、黒海・アゾフ海の北岸地帯で略奪行為を行い、東欧におけるキリスト教の世界の先隊としてイスラムの諸勢力と戦ったと言う歴史があります。

 

1914年頃の欧州の地図

 

1917年、ロシアは、デモから発展した2月革命の後、ボリシェヴィキを中心に武装蜂起し、十月革命が始まります。ロシア革命です。

 

ロシア革命が勃発してロシア内戦が始まります。

 

ウクライナ、ドン、クバーニにおいてコサック三国が独立を宣言をします。

三国はロシア白軍およびシベリアのコサック諸軍と共にロシアの共産党とその赤軍に抵抗したが、敗北することになります。

 

そしてロシア帝国は、ソ連となります。1917年から1991年まで存在していた、世界初の社会主義共和国です。

 

赤い色で塗らているところが、当時のソ連です。

 

 

1918年から1920年にかけてコサック階級は排除され、コサック諸軍は廃軍となります。

内戦後、裕福なコサックの一部は欧米諸国へ逃亡しましたが、

残されたコサックは共産党による苛烈な弾圧の対象となりました。

 

ソビエト政府はコサックの大部分とそれらの家族全員を死刑もしくは流刑し、ホロドモールによって餓死させた。そのため第二次世界大戦においてコサックの残党はドイツ軍に味方し、ソ連軍と戦った。ドイツの敗北とともに、コサックは共同体としての姿を消した。

 

ホロドモールとは1932年から1933年にかけてウクライナ人が住んでいた各地域でおきた人工的な大飢饉を指します。

 

飢餓テロや飢餓ジェノサイド、スターリン飢饉などとも呼ばれています。

 

ウクライナ人はこのホロドモールを忘れないのでしょう。

 

実は、このロシア革命を起こしてソ連政府を形成したのが、レーニン、トロツキー、スヴェルドロフ、スターリンと言われています。

 

スターリン以外の3人はユダヤ人だったと言われています。

 

そして、そのうちのトロッキーがこんな言葉を残しているようです。

 

「我々はロシアを白い黒人が住む砂漠に変えなければならない。彼らに、最も恐ろしい東部の専制君主が夢にも思わなかったような専制政治を押し付けるのだ。唯一の違いは、これが右翼の専制政治ではなく、左翼の専制政治になるということだ。それは赤の専制政治であって、白の専制政治ではない。我々は、「赤」という言葉を文字通り意味している。なぜなら、我々は、資本主義の戦争で被ったすべての人的損失を青ざめさせるような血の洪水を流すからである。海の向こうの大銀行家たちは、我々と可能な限り緊密に連絡を取り合うだろう。もし我々が革命に勝利すれば、革命の葬儀の残骸の上にシオニズムの力を確立し、全世界が跪くような力になるだろう。我々は、本当の力とは何かを示すだろう。恐怖と殺戮によって、我々はロシアの知識人を完全に唖然とした愚かな状態にし、動物のような存在にするだろう。」

 

ソビエト連邦の崩壊後、ウクライナやロシアの市民団体はコサックの復帰運動を行っています。

 

現在、ウクライナ、ロシア、カザフスタン、アメリカなどにおいて「コサック軍」と名のるいくつかの組織が存在しており、組織の活動はコサック文化振興から軍事支援までの広い範囲にわたっています。

なお、国のレベルでコサックの遺産を受け継いでいるのはウクライナです。

 

陰謀論的になりますが、世界の金融を牛耳っているのは、ユダヤ系が多いです。

ソロスもそうですが、誰でもが知っているロスチャイルドもそうですよね。

 

今、起こっていることが、「ポグロム」対「ホロドモール」の恨みの果し合いのようなことにもつながってはないでしょうか?

 

だから、スラブ人の血液サンプルを採取しているのでしょうか?

このSNSからの情報は、不確かであり、あくまでも推測です。

 

しかし歴史は事実のようです。