狩野亨吉も中江丑吉も生前に本を出していない。
中江の『中国古代政治思想』は没後、1950年に出ている。狩野も目の黒いうちの自叙伝はおろか、写真を撮られることさえ拒んだ。
中江は中江兆民の長男、狩野は現京都大学の初代学長(細かいこと言えば文学部長)を務めた人だ。
丑吉は存命中にわずか100部程度の私家本を作ってごく近い人に配布しているが、やはりジャーナリズムに乗るのを極端に嫌ったらしい。
この二人について触れた論考から始まる500頁近い本『戦後思想史の探究』の著者、鈴木正氏をほとんど知らなかった。
そういえば久野収が編纂した中井正一の本の解説か何かで名前を見た記憶がある(『美学空間』?)。
それくらいのことだった。献本を受けた大先輩から読めと手渡された。
500頁もあるまあ大著なのに、ほとんど一気に読めてしまった。中で、これもこの本で初めて知った加藤正の提起した〈党派性〉は、大きな気づきを与えてくれた。
冒頭の狩野、中江のジャーナリズム嫌いですぐに思い出されたのが、丸山真男を批判した吉本隆明の〈売文屋〉という自己規定だ。
鈴木氏の丸山評価とは、言うまでもなくまったく斬り込み口が違う。
同時に糊口を凌ぐ意味での売文と論考や研究の本質的な価値は、プラスに相互作用することがあるってことも、対比的にビシビシと思い致されるのだった。
隆明伯父は『丸山真男論』でこう書いていた。
ひとは、「生活」によって大衆であるとき、その「思想」を現実的な体験のうしろにおしかくす。また、「思想」によって知識人であるとき、その現実的な体験を「思想」のうしろにおしかくす。
実を言えば、この「生活」と「思想」の裏腹を一気通観に齟齬ない〈速度〉へと鍛えようとしたのが、戦前の「唯物論研究」の潮流だったはずだ。だが、これは破綻する。残されたのは、加藤正が否定した、実体としての「党」への帰属ではなく、それをはるかに超える、党派性の顕現〈本来的なパルタイリヒカイト〉、これを台無しにする組織延命の営み(生業)だけだった。
この破綻から出発した戦後思想というものも、あったはずだが、この大著ではそこはあまり触れられていない。しかし、来年の戦後70年に向けて、ゆっくりとしっかりと読み継がれていくだろうと思う。
